1970年物語−2
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1970年物語(season2)

01  菩提寺
02  Beginner's Luck
03  ミルキー・パトロール
04  サウンド・インパルス
05  この木何の木
06  ハッピー・フォーク
07  東 京
08  岸川さんのユウウツ
09  オニマ〜ルです。
10  唐津・虹の松原
11  リアカー部隊
12  カウントダウンライブ
13  小松ヶ丘を後にして1
14  小松ヶ丘を後にして2
15  城島高原キャンプ場
16  居候
17  再出発
18  渡辺プロダクション
19  解散.コンサート
20  風来坊
21  最後のマネージャー
22  照和出演バンド一覧-1
23  照和出演バンド一覧-2
24  照和出身ミュージシャン
25  照和のオーディション
26  シャイアン族が行く
27  俺はツヨシだ!
28  追い詰められるライブハウス
29  キヨさんに会ったらよろしく
30  泣き虫タツヤ
31  森山達也
32  ロック・ディの功罪
33  風の中のノバ
34  終焉の足音
35  1978年11月30日木曜日
<最終章>
01 1979年
02 伝説のはじまり
03 コンサート
04 同窓会コンサート
05 照和伝説同窓会コンサート1




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 第7回 東京


♪東京の空 此処にありますと 緑の電車は山手線…これは加川良がうたった「東京」
♪東京へはもう何度も行きましたね 君の住む美しい都…これも「東京」。誰だっけ?
♪久し振りに手を引いて 親子で歩ける嬉しさよ…島倉千代子の「東京だよ、おっかさん」ちょっと古かったか?ワシの子供の頃の歌だもんなぁ、みんな知らんやろうね…

と、新幹線の中で東京の歌を口ずさみながら我々は東京に向かった。デモ・テープを録るための上京である。予定は2週間…私にとってこんなに長く、福岡を離れるのは高校の修学旅行以来2度目のことである。3度目がオーストラリアで、そろそろ18年になる…どうでも良いことを書いたと反省。コンテスト以後、合宿所に電話がないため、三浦氏との連絡は当時の照和のマネージャーだった小宮真一がしてくれていた。小宮は甲斐よしひろのマネージャーをしていたが、甲斐が上京して暇になったのか、我々のマネージャーをかってでてくれた。雑事を人に任せて私は楽をさせてもらった。そして、小宮真一も一緒に東京に行った。

仮住まいの場所は「世田谷区上馬」にある某プロダクション所有のマンション。地名は覚えているが、その場所が東京のどのあたりかは、私は今でも皆目判らない。我々は迷子にならないよう地下鉄のマップを常備しながらも、いつも一団となって行動していた。
レコーディングするスタジオはまだ真新しい「目黒パイオニアスタジオ」。まず、バスで渋谷まで出る。天神の福大行きバス停では我先にと乗り込むのが普通だったが、ここ東京では一列に並んで、理路整然と秩序正しくバスに乗る。「うわぁ、東京の人は違うね。博多ん者は野蛮人バイ」と一般的な普通のことに感心した。
渋谷から緑の電車に乗って目黒まで。一緒にいたはすのカツが乗り遅れた。緑の電車は非情。時間重視。カツが乗り込もうとした時にドアが閉まった。「あー」と口をあけたまま、不安げで泣き出しそうなカツ一人をホームに残し電車は動き出した。「さよなら、カツ。いつかまたどこかで会おうね。」
我々は電車の中からカツに手を振った。
目黒のホームで下りた場所で待っていると、次の電車にカツが乗っていた。みんなと再会し、嬉しそうなカツの笑顔が忘れられない。「さすが国鉄やね。時間も止まる位置も正確バイ。」と、また東京に感心した。
「カツ、偉かったねぇ。よう泣かんやったね。」からかい半分にカツに話しかける。「いやぁ、ほんと一人になって不安やったぁ。どうしょうかと思ったもんね。」「遭難したときはその場所を移動しないこと。これ鉄則やもんね。」「うんうん、みんなば信じとったけんね。絶対待っとってくれるって…」
そんな話をしている間に「目黒パイオニアスタジオ」に着いた。駅から歩いていける距離だった。

レコーディングは深夜から明け方までの予定。これは当然予算の関係。どうなるか判らないアマチュア・バンドに対して潤沢な予算はない。それでも使用料が1時間5万円と聞いた。初日は遅刻しないように早めに到着した。スタジオでは小室等さんがレコーディング中だった。終わって三浦さんから小室さんを紹介された。「頑張ってください」と社交辞令的挨拶を我々に残して小室さんは帰って行った。  「みんなに紹介するね。君たちのアレンジを頼んだ石川鷹彦さん。」三浦さんがアレンジャーに選んだのはあのギターの神様と言われていた石川鷹彦氏である。吉田拓郎、南こうせつ、さだまさし、などなどのステージやレコーディングに欠かせないプレーヤーでもある。
「みんな、ヨロシクね。」我々の緊張感をほぐすように軽く親しみを込めた挨拶をしてくれた。
「久保。三浦さん、結構ワシらのバンドの音ば理解しとうね。」「なしや?」「石川さんやろ?お前のギターを聴いたら石川さんも納得するぜ。」
「僕、仕事しなくてもいいみたい。いじくる必要ないんじゃない。」数曲演奏した後、石川さんの第一声…久保へのほめ言葉。録音した「風」を聞いている時に久保以外のギターの音が…?石川さんが曲を聴きながらミキサー・ルームでギターを弾いたらしい。このフレーズを久保はステージで使うようになった。

録音がない日は昼間から買い物に行ったりした。六本木にあったカントリーグッズの店でバックルやシャツ、指輪などのアクセサリー。アメ横ではジッポのライターやワークブーツ。各自の予算と好みで…。
そして一日だけ「甲斐バンド」の合宿所に顔を出した。甲斐、大森、長岡、松藤。久し振りの再会である。みんなで採譜をしていた。「やっぱり譜面、書いとかないかんちゃね。」うちのバンドで誰が採譜が出来るんだろう?やっぱり久保しかいない。「久保も今のうち採譜しとったら?」その時、部屋が揺れた。「今、揺れたろう?」甲斐たちに聞くと「ああ、地震。今のは震度3ぐらいやないかいなね。」
そんなもんだと彼らは平気な顔。「なして、みんなそげん平気な顔ばしとうとね。」「ああ?いつもの事やけん。もう慣れた。」彼らはもう東京人なのである。

三浦さんの自宅に呼ばれた。今後のことを話し合うためである。「まずは君たちの写真を撮るからね。」はじめてプロのカメラマンの前でポーズを取る。場所は近くの公園、広場。衣装、メイクアップなし。ほとんどスナップ写真。でもこのカメラマンも有名な人だった。
「実はベルウッドを辞めて、フィリップ・レコードに移ることになったの。そこで、君たちをデビューさせようと思ってるから、ちょっと時間がかかるかもしれない。東京に住んでいれば、レコードデビューは簡単なんだけど…。藤永君と木下君は4年生だったっけ?大学は卒業しておいた方がいいと思う。その間にプロダクションを探しておくから来年の春以降に始動しよう。」
早稲田大学の近くのレストランで食事をして、三浦さんちでお茶飲んで…そういう話をした。
およそ半年後。我々にもやれなければいけないこともある。そう長い期間ではないと思った。

あとがき
さて、この時の音源と写真。音源はカセットテープにダビングしてもらったはずなんだけど…。小宮も知らないと言うし、どさくさにまぎれて紛失してしまった。結局はスタジオで聞いただけになってしまったけれど、レコーディングされた自分の歌は、はっきり言って上手かった。正式になったらもっと上手く聞こえるように作ってもらえたんだろうな。浅田美代子や小林麻美に負けないように…。写真は誰も見ていない。多分、帰るまでに間に合わなかったからだと思う。

 いちろう 2008年5月12日





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