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♪持っていますか〜 心のふるさと 新宮霊園〜。長渕剛がアマチュア時代に歌った地元のCMソングである。作詞作曲は秋吉恵介(…だと、聞いたけど)さすが、いい曲作るよな。
数年前、博多に帰った時、久し振りにテレビでこのCMを見た、聞いた。まだ、使っているんだと感慨深く眺めていた。当時はなかったと思うが、画面の隅に「唄・長淵剛」とクレジットされていた。「新宮霊園はあの長渕剛をCMソングに起用しているのか、すごい!」と視聴者はきっとそう思っているだろうな。剛が売れたから新宮霊園は安い買い物をした。アマチュア時代は唄ってなんぼのとっぱらい、後は野となれ山となれ。このCMソングは新宮霊園のものだから、いつまでも自由に使うことが出来るのだ…当然タダで。だから剛は一生、このCMソングを歌い続けることになる…新宮霊園に入るまで。
さてさて、知る人ぞ知る、知らない人がほとんどの我々、妙安寺ファミリーバンドもCMソングを歌ったのだ。スポンサーは鬼丸漬物。制作スタッフからカントリー調の曲ということで我々に依頼が来た。が、実際に歌ったのは久留米のシンガーソングライターのむかいひではる。ワシらよりも年長者のおじさんシンガーである…むかいさ〜ん、まだ生きてますかぁ?
むかいさんがギター、久保はフラットマンドリン、藤永はバンジョー、木下はフィドル、仲西はベース。で、ワシは?歌わないで良い、楽器も弾かなくて良い。こんな楽なことはないと、今なら喜んでなにもしないが、この時ボクは若かった。「何もないと?なんかさせてよ。」「しぇからしかね。そしたら、そこでバスドラでも踏んどきやい。」という久保の言葉でドラムセットの前に。
「門田さん。それ、やっぱしない方が良かごたぁ。」とガラスの向こうから、やんわりと有無を言わせぬ、威厳を持った鬼のディレクター、緒方丈二の声。私は素直にドラムセットから離れ、何もしないようにという言葉に従った。丈二君は「ライトニング緒方」という個人経営の会社を持つ、フリーランスのディレクター。「ライトニングって?照明屋さん?」「いや、物書きの方です。」企画書を書いたり、台本を書いたりするのが本職。書いた物を現場で実際に作り上げるのも仕事。この時、一緒にやっていたのが中村太一。100キロは優に超えた体の持ち主…簡単明瞭に言えばデブ。学生時代、杉真理と同級生だったそうな。丈二君と太一、どういうわけか仲西とは顔見知り。私の未知なる分野の仕事をする二人。この時代、この地方での開拓者達である。この時私とは初対面。以後二人とは浅く、長い付き合いになる。
年配の作詞作曲をした先生もスタジオに現れて、いろいろと指図、要望を入れる。正直、歌わなくてすんだことを感謝した。むかいさん、頑張ってという心境である。演奏は久保が勝手にアレンジする。作詞作曲の先生と勝手にアレンジャー久保の間で上手くまとめるのも丈二君の仕事。30秒と60秒の2バージョンの演奏を終え、歌入れとなる。向井さんの後ろでコーラス部隊。やっと、私も仕事をする。最後に「オニマ〜ルです!」と入れてお終い。2,3秒の仕事だった。
「この後、コマーシャルフィルムも撮るんやけど。」CM出演の依頼である。ちょっと心が動かされたが、いつ上京することになるかも分からないので辞退した。結局、上京しなかったから出ればよかったと後悔した。そのかわり完成されたコマーシャルをテレビで見ることが出来た。ワシ等の代わりに太一ちゃんが出てる、ヤマハUスタジオのミキサー・久保君も出てる。多分丈二君の交友関係で集められた者どもである。みんなにこやかに弾けない楽器を持って映っていた。我々もむかいさんもプロになれなかったし、有名にもならなかったのでこのCMを永久に使われることはなかった。
あとがき
遠い昔、週刊誌かなんかで読んだ話。私が中学生の時、日曜日の6時からの人気番組「てなもんや三度笠」が放映されていた。6時半からは「シャボン玉ホリデー」。毎週欠かさず見ていた…という話ではなく「てなもんや三度笠」である。提供は前田製菓。駆け出しの新人だった藤田まことが番組の中で「当たり前田のクラッカー」と生コマーシャルをしていた。この写真の版権を前田製菓が持っていた。
その後、藤田まことは必殺シリーズなどで押しも押されもせぬ大スターになった。前田製菓は当時の写真を宣伝に使い続けていたらしい。ギャラなしで使うのも悪いと思ったのか、藤田まことの所に毎年、前田のクラッカーが一年分送られてくるそうだ。新宮霊園も昔のCMソングを使っていて、剛に悪いと思って墓地を一区画、長渕剛の名前入りの墓石をつけて…いらんやろうね。
いちろう 2008年6月25日
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