1970年物語−2
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1970年物語(season2)

01  菩提寺
02  Beginner's Luck
03  ミルキー・パトロール
04  サウンド・インパルス
05  この木何の木
06  ハッピー・フォーク
07  東 京
08  岸川さんのユウウツ
09  オニマ〜ルです。
10  唐津・虹の松原
11  リアカー部隊
12  カウントダウンライブ
13  小松ヶ丘を後にして1
14  小松ヶ丘を後にして2
15  城島高原キャンプ場
16  居候
17  再出発
18  渡辺プロダクション
19  解散.コンサート
20  風来坊
21  最後のマネージャー
22  照和出演バンド一覧-1
23  照和出演バンド一覧-2
24  照和出身ミュージシャン
25  照和のオーディション
26  シャイアン族が行く
27  俺はツヨシだ!
28  追い詰められるライブハウス
29  キヨさんに会ったらよろしく
30  泣き虫タツヤ
31  森山達也
32  ロック・ディの功罪
33  風の中のノバ
34  終焉の足音
35  1978年11月30日木曜日
<最終章>
01 1979年
02 伝説のはじまり
03 コンサート
04 同窓会コンサート
05 照和伝説同窓会コンサート1




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 第14回 小松ヶ丘を後にして…(2)


思い出話その1・ミイラ遊び

夏の暑い夜だった。小松が丘のバス停からの道は舗装されていない畦道。車はほとんど通らない、深夜ともなると尚更である。外のほうが涼しいとみんなで表に出た。
「ミイラごっこ、せん?」誰が言い出したか?面白い、それをしようとなった。ミイラ役を決めてトイレットペーパーでぐるぐる巻きにする。車がライトを上げてやってくる。ミイラは一瞬だけライトに入るとすぐに隠れる。その白い物体をドライバーが気づくかどうかがこの遊びのポイントになる。待つこと2,30分。「車が来たぞ!」伝令が来る。「ほら、今出て!」ミイラを押し出す。「ほら、さっさと隠れて!」…ミイラは指令通りにすばやく動けなかった。車が止まって、運転席の窓が開いた。「お前ら何やってんだ!」「お、鬼ごっごです。」「そのミイラみたいな格好したのは何だ。」「お、鬼です。」「ばかたれ!それで車を驚かそうとしたろう?」「と、とんでもないです。」「馬鹿なことは止めて、早く寝ろ!」そう言い残して車は走り去った。失敗。「お前の動きが悪い」とみんなでミイラを小突き回す。「さぁ、次が本番。」一度の失敗でめげるワシ等ではない。待つこと小一時間、やっと2台目の車が来た。今度はタイミングよく出て、すばやく隠れた。車は家の前に来ると徐行を始めた。何かを探しているようである。しばらくして、諦めたか、車は去って行った。「やったー!大成功。」と喜んでいると逆の方から車が来た。こちらからの車は想定外だった。よく見るとさっき走り去った車である。よほど気になったのか?再び徐行して家の前を通り過ぎた。家の中に逃げ込んだみんなは声を出さずに成功を喜んだ。

思い出話その2・柱のキズ

♪柱のキズはおととしの五月五日のこどもの日…居間の柱に背比べをしたキズが残っている。甲斐が居候している時にみんなで身長を測った。それから合宿所に来たら、この柱にキズと名前を残すのが常になった。久保と聖雅が一番上にあり、一番下は甲斐だった。

思い出話その3・襖の爪あと

子猫が迷い込んで来た。普通、猫は人になつかないのに…度胸のある奴だと置いてやった。最初は物珍しさで餌を与え可愛がっていた。退屈な夜だった。部屋の隅で猫が爪を立てて畳を引掻いている。成長過程の所作である。「この高さから飛び降りきるかいな?」猫を抱いて鴨居にぶら下げた。「うーん、まだ無理のごたあね。」懸命に爪をたてぶら下がっていたが力尽きた。落ちる。と思った猫は爪をたてたまま襖に移って無事、下に着地した。後に残った襖一面の猫の爪あと。恐怖を物語る図柄である。その後、猫は家出した。

思い出話その4・インキン強制治療

「ダゴ」と皆から呼ばれていた奴が勝手に居候していた。氏素性、年齢さえも誰一人知らない。人に取り入る事にかけては天賦の才があった。こやつが股をボリボリとやっている。「お前、汚なかね。何しようとか?」と聞くと、インキンだと言う。スポーツをやっていた人間にはなじみの皮膚病であるが、これは人に移る。ここは男所帯、蔓延する可能性がある。出て行くか治療するかを迫った。しぶしぶ治療を選んだ。ヨーチンが効くということで患部に塗ることにした。ヨーチンと聞いて逃げ出そうとしたダゴを5、6人で押さえつけ、ズボンを脱がし患部をさらけ出した。玉袋の周辺を塗り始める。ヨーチンは皮膚が焼けるように痛い。泣き叫ぶダゴの口にタオルを噛ませる。乾いては塗り、乾いては塗りを繰り返して治療は終わった。数日後にヨーチンを塗った皮膚が乾燥し、きれいに剥がれる。再発の可能性もあるが、とりあえず完治ということで一件落着した。

思い出話その5・チン比べ

夏の暑い日にジェフのメンバーである坪島ジュンと三島が遊びに来た。「風呂、入って良いですか?」ジュンは返事を聞かずにさっさと風呂場に行く。だが、この家には脱衣所がない。縁側の廊下にでて、居間の障子を閉める。そこが簡易の脱衣所になる。手馴れたジュンはさっさと水浴びをして出てきた。「お前も水浴びしてきやい」と、さっぱりしたジュンが三島に声をかける。「そしたら、俺も風呂借ります」と三島が風呂に行く。障子を閉めて、服を脱いでいる三島。「おおー、あれ見て。」ジュンが指をさす。居間の障子、下の部分はガラスになっている。ジュンと三島の身長差は20センチ。三島の下半身はすべてガラスの枠に入っていた。知らぬは本人ばかり。目の前の障子に気を奪われ、下半身は気にしていないのだ。「さっきはなんば笑いよったと?」その答えは次にやってきた鷲谷が風呂に入る時に理解した三島。「それにしても鷲谷のナニは…」愛好会一の持ち主とその日のうちに広まった。

思い出話その6・麻雀始末紀

この時代の大学生、裏の必修科目に中国語があった。麻雀である。学校近くに2件ある雀荘は常に大入り満員。この合宿所でも麻雀はみんなの娯楽であった。居間にコタツが二つ、面子8人のほかに周りに順番待ちが数人。入りきれない奴は練習場でレコードを聞いたり、ギターを弾いたりしていた。昼間の合宿所は大人数であふれていた。試験が始まるとみんな合宿所にやってきてノートの貸し借りをし、一夜漬けで試験勉強をする。勉強が一段落すると麻雀が始まる。その音は近所にまで響いていた、らしい。向かいの寮のおばさんから注意を受けた。そのうち勝ち負けの清算があやふやになり、ついには麻雀禁止令を発令した。照和の最上階にも雀荘があった。照和で一番強かったのはあかんべえの霜田けんちゃん。愛好会では豊田が強かったなぁ。うちのメンバーだけで居るときは麻雀はほとんどしなかった。

思い出話以下略

あとがき

8月13日に久保を支えてくれたバーバリアンズの加藤君(ジャップ)が逝っちゃいました。久保の追悼会のとき、「久保さんの置き土産」といって大腸がんだったことを告白。患部を手術で切除。以後、酒たばこをやめ、病後の検診もこまめに受け、体には人一倍気を使ってた。昨年、一昨年の年末にはバーバリアンズをバックに歌いたいという私のわがままを快諾してくれて一緒にステージに立ってくれました。いやぁ、いい奴でしたよ。彼とのエピソードを友達辞典に書こうと思いながら、なかなか思うように書けなくて…もうちょっと時が経てばと、思います。「小松が丘を後にして…」その後、みんなが何処にいったか書くのを忘れました。次回にでも…

いちろう 2008年9月8日





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