1970年物語−2
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1970年物語(season2)

01  菩提寺
02  Beginner's Luck
03  ミルキー・パトロール
04  サウンド・インパルス
05  この木何の木
06  ハッピー・フォーク
07  東 京
08  岸川さんのユウウツ
09  オニマ〜ルです。
10  唐津・虹の松原
11  リアカー部隊
12  カウントダウンライブ
13  小松ヶ丘を後にして1
14  小松ヶ丘を後にして2
15  城島高原キャンプ場
16  居候
17  再出発
18  渡辺プロダクション
19  解散.コンサート
20  風来坊
21  最後のマネージャー
22  照和出演バンド一覧-1
23  照和出演バンド一覧-2
24  照和出身ミュージシャン
25  照和のオーディション
26  シャイアン族が行く
27  俺はツヨシだ!
28  追い詰められるライブハウス
29  キヨさんに会ったらよろしく
30  泣き虫タツヤ
31  森山達也
32  ロック・ディの功罪
33  風の中のノバ
34  終焉の足音
35  1978年11月30日木曜日
<最終章>
01 1979年
02 伝説のはじまり
03 コンサート
04 同窓会コンサート
05 照和伝説同窓会コンサート1




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 第20回 風来坊


居候生活は肩身が狭い。長身の久保は肩身が狭くなる代わりに猫背になる。照和の出演をきっかけにお寺を出ることにした。朝型の健全な家庭環境に夜行性のワシ等は場違いであった。久保は六本松にアパートを借りた。4畳半一間…「神田川」の世界である。久保にとっては数年ぶりの一人暮らしである。一人暮らしということは生活費を稼がなければいけない。六本松にあった「ABCストア」でバイトをはじめた。今のコンビニのはしりで24時間営業。久保の部屋に行くと、冷蔵庫は賞味期限切れの食品でいっぱいだった。住む所と食べ物が確保できればそれ以上の贅沢はいらない。

久保がお寺を出て、しばらくして私は地行の海の近くのアパートを借りた。今度は家出ではなく、ちゃんと家を出た。私は初めての一人暮らしだった。お寺から歩いて10分程度。リヤカーに家財道具を積んで、一人で引越しをした。ところが、このアパート、隙間風だらけ。冬の海風が容赦もなく吹き付ける。寒いのなんのって…。台所に水を置いておくと、氷が張っている。このままじゃ凍え死ぬと、真剣に思った。二ヶ月ほどで引っ越した。今度はお寺を挟んで反対側の西公園下のアパートを借りた。

しばらくして、藤永が久保の隣の部屋に引っ越してきた。久保とカツの甘い生活が再開した。私は詞を書いては久保のアパートに遊びに行っていた。まるで学生時代に久保の下宿にたむろしていた頃のように…。違うのは六本松界隈で、久保が見つけ出した店に行くようになったこと。その一つに「風来坊」があった。城南線が左にカーブする道とまっすぐ抜ければ九大教養部の前に出る道の妙な三叉路の角にあった。

照和初期のころ、チューリップや海援隊、テキサス決死隊などと一緒に活躍していた「みにくいアヒルの子」のメンバー・黒瀬秀之の店だった。「みにくいアヒルの子」はあの伝説の能古島のコンサートで「サーカスにはピエロが…」を歌い、本家のディラン△絶賛したという逸話がある。この「風来坊」、黒瀬が店を閉めるまでの数年間、我々がバンドを解散する前、した後、思い出が多い、遊びの拠点となった。

照和に出た最後の西南大のバンドになった「ウインドミル」。メンバーのマンモス…当然、愛称である。が、本名が思い出せない。本名を聞かなかったなぁ。大学を出ても職につかず、自由気ままに生きていた。プータロー、ホームレス…欲もなく、なくすものもないマンモスは屈託のない笑顔を浮かべ、毎晩のように風来坊のカウンターで飲んでいた。黒瀬はそんなマンモスの唯一の理解者だったような気がする。そのマンモスが恋をした。その恋はマンモスの今までの生き方を変えた。彼はなんと医者になることを宣言したのだ。がむしゃらに受験勉強に打ち込み、3度目の受験で九大の医学部に入学。家庭教師とパチンコで生活費を稼ぎ、学業に励んだ。そんなマンモスを私は驚嘆と感動、尊敬の念を持って接するようになった。「マンモス、大学生活はどげん?」「この前さ、授業の時に助教授が来たったい。そいつが西南の時の同級生やった。」とか「なんか辛いことはあるね?」「うん、教室の椅子が硬くて、尻が痛いったい」とか「今の子はコンパとかで酒を飲まんちゃんね。俺、みんなと話題も合わんし、しょうがないけん、一人で酒ば飲みよう」…うわぁ、中身はなんも変わっとらん。 マンモスは医者になった。そして無医村の診療所に行くといって我々の前から去っていった。はてさて、今頃、どこの空の下、飄々とにこやかに患者と見ているのだろうなぁ…

あとがき

バンド解散から数ヶ月で照和は閉店することになる。これからの話は今回のように解散前からの話に戻ったり、照和が閉店した後の話になったりする。まぁ、これも1970年代のことである。第3部にしようと思ったけどこのまま最後まで突っ走ることにした。
マンモスの本名を本当に知らない。別に知らなくてもマンモスはマンモスなのだ。「風来坊」にはこういった変な奴がいっぱい出入りしていた。黒瀬の懐の深さというか心の広さを感じる。義理や人情という重い言葉ではない。友達なのである。友達だから普通に、当たり前に接している。「風来坊」はそんな秀ちゃんの店だった。

いちろう 2009年1月11日






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