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【ハーズメン】
安部俊幸(チューリップ)がいたバンド。安部が財津に誘われ、バンドは消滅した。
【ライラック】
姫野達也と千葉和臣のデュオ。姫野が財津に誘われ、解散。その後、千葉君は海援隊に参加。君を付けたのは知ってる間柄だから。
【テキサス決死隊】
「じゃがいも畑」の鶴原潤がいたバンド。「照和伝説同窓会コンサート」で初めて見た、聞いた。「………。」
【フォークメイツ】
西南大学の音楽サークルで引き継がれているバンド。名前は同じでメンバーが入れ替わる。我々が「歌え若者」に初めて出た時、一緒になったが、その時のメンバーが出ていたのかは定かではない。
【キモサベフォー】
見たことも聞いたこともないので…ノーコメント。
【エジンバラ】
一応、福大フォークソング愛好会のメンバーだった、はず。この時代、キングストン・トリオやブラザーズ・フォーをコピーするバンドが主流だった。
【チューリップ】
財津和夫、吉田彰、宗田、末広の4人。実力、人気、知名度すべてにおいて福岡ではナンバーワン。KBCテレビ「パンチ・ヤング福岡」にレギュラー出演していた。
【海援隊】
武田鉄矢、中牟田俊男。ロックバンドの時もあったらしい…。その時に伝説の酒乱・甲斐田寛がベースで参加。ドラムの上田雅利が財津に誘われ、バンドは解散。その後、千葉君が加入し3人となる。
…それにしても財津さん、やるなぁ。でも、この位、我が儘で強引さがないとプロとしてやっていけない、と思う。東京に出て、挫折した人間はみんな優しい。自分にも優しいから…。
【ケンとガッキ―ズ】
福大フォークソング愛好会。久保孝司が1年の時に在籍していたバンド
【ノーマンホイットフィールド】
甲斐よしひろが高校生の時にいたバンド。
【マリモ】
永隈晋一、今林清隆…飯沢もいたんだっけ?
【みにくいアヒルの子】
「風来坊」の黒瀬秀之、上村君、女の子がいて、もう一人…いい加減に書いてすみません。どうしても「サーカスにはピエロが」を聞きたくて「照和伝説同窓会コンサート」に出てもらいました。聴いた甲斐はありました。
【ウインドミル】
「照和」で活躍した西南大学最後のバンド。マンモスがいたバンド。王道のキン・トリ、ブラ・フォーのコピーをしていた。
【ウイッシュ】
伊豆丸姉妹の女性デュオ。「ご案内」でプロデビュー。
【ジュテーム】
女性デュオ。見たような…聞いたような…ノーコメント。
【三輪車】
川合健一、小川、田中の3人。福大愛好会。福大の応援歌「七隈とんび」をアレンジし歌ったのが好評を博した。ベースの田中が途中で抜け、大森信和(甲斐バンド)が加入。
ここまでは「照和」が1970年11月にオープンしてから72年くらいまで、活躍していた主なバンドである。73年に我々が出演した時には…影も形もなかった。
【あかんべえ】
秋吉恵介、谷村与志雄、霜田賢、佐野チン…本名ではないからね。こう呼んでいたので、そのまま書いた。九州産業大学。恵介のオリジナル曲を中心に「照和」では数少ないロックバンドだった。
【有馬エリ】
博多が「日本のリバプール」といわれていた頃、週刊誌に「照和の静御前」と書かれた。しかし、誰もエリのことをそう呼ぶ人間はいなかった。
【椿ゆう子】
この時、「照和」にはエリと椿の二人しか女性シンガーはいなかった。
【リグビー】
井手雅英、長岡和弘(甲斐バンド)、長井。福大愛好会。ビートルズのコピーをしていた。愛好会の中ではキン・トリ、ブラ・フォーのコピーバンドは影を潜め、ビートルズのコピーをするバンドが多かった…気がする。
【リンドン】
田中信昭(バッチ→レイン)田中一郎(ARB→甲斐バンド)伊藤薫(チューリップ→オールウェイズ)。
【開戦前夜】
森山達也、浅田タケシ。共に高校生。坊主頭を隠すため、キャップを目深に被り、ステージに出ていた。「モッズ」のサナギの時代。
【甲斐よしひろ】
チューリップ、海援隊なきあとの「照和」を支えていたといって過言ではない。
【ラム】
倉本明彦、比山清、池浦均、越堂史郎。九産大。ベースの越堂が抜けて3人でやっていた。後に倉本が脱退し、斎藤富雄が加入。「ラム・フライ」でデビュー。
【田舎者】
山部善次郎、坂東、角野、加治、花房。初めて見たとき、山部のステージに圧倒された。
我々が出始めた頃に、こういったバンドが「照和」に出演していた。どれもこれも個性豊かなバンドばかり。この中で我々も切磋琢磨していくことになる。
あとがき
今回は「照和マネージャー編」に突入したからと、いうわけでもないが、昔、作っていた資料を公開することにした。1970年物語同様、私の記憶の中なので、「俺のバンドの名前がない」とか言わないように。名前がないのは、私の記憶に残らないくらいのバンドだったんだから…。次回はその2。
いちろう 2009年1月14日
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