1970年物語−2
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1970年物語(season2)

01  菩提寺
02  Beginner's Luck
03  ミルキー・パトロール
04  サウンド・インパルス
05  この木何の木
06  ハッピー・フォーク
07  東 京
08  岸川さんのユウウツ
09  オニマ〜ルです。
10  唐津・虹の松原
11  リアカー部隊
12  カウントダウンライブ
13  小松ヶ丘を後にして1
14  小松ヶ丘を後にして2
15  城島高原キャンプ場
16  居候
17  再出発
18  渡辺プロダクション
19  解散.コンサート
20  風来坊
21  最後のマネージャー
22  照和出演バンド一覧-1
23  照和出演バンド一覧-2
24  照和出身ミュージシャン
25  照和のオーディション
26  シャイアン族が行く
27  俺はツヨシだ!
28  追い詰められるライブハウス
29  キヨさんに会ったらよろしく
30  泣き虫タツヤ
31  森山達也
32  ロック・ディの功罪
33  風の中のノバ
34  終焉の足音
35  1978年11月30日木曜日
<最終章>
01 1979年
02 伝説のはじまり
03 コンサート
04 同窓会コンサート
05 照和伝説同窓会コンサート1




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第27回 俺はツヨシだ!


「照和の3N」。聞いたことがない?本当に?まぁ、それも仕方ない、ワシが勝手にそう言っているだけだから…。この時の照和には数多くのソロがいた。その中で6時、8時のメインを取っていたのが仁井まさお、長渕剛、西田恭平の3人。偶然にも3人とも頭文字が「N」。そこで私は彼らに敬意を込めて「照和の3N」と呼ぶ。

先輩格の仁井まさお。ジェフのベース・鷲谷“龍厳寺英山”英志が彼をプロデュースしたらしい…
へぇ、知らんかった。愛好会では船漕ぎベースと呼ばれていた鷲谷は、照和には出ていないがKBCの岸川さんに可愛がられて、ラジオ番組を任されていたぽん太(田中良明)とミッコの「デュオ」に入ったりして、ジェフを辞めてからの活躍の方が目立っている。…詳しくは彼のブログを見るように。そこには、仁井まさおが何度か照和のオーディションに落ちた後、鷲谷が協力して合格に導いたと書いてある。ふーん、そうだったのか…。私が初めてあった時、仁井はすでに照和でトップのソロ・シンガーとして君臨していた。

西田恭平はヤマハのコンテストでグランプリを受賞。「鐘」でレコード・デビューを果たした。しかし、その後が続かなかった。そして、再起の気構えで「照和」に出演していた。恭平独特の明るい、軽妙洒脱なしゃべり。そして、本格的な伸びのある歌声に客は引き込まれる。
そして長渕剛。この3人、人気、実力、集客力は当時の照和ではトップクラスであった。それぞれ個性が違っていたが、共通するものがあり、仲も良かった。その共通するもの…「女好き」である。まぁ「女が嫌いだ」という男は…稀にいても、ほとんどいない。が、「女好き」は「女が好き」という一般論をはるかに超越している。ステージで歌が上手く、喋りが面白いと確実に女の子が寄ってくる。それなりの人気になると、かなりもてるようになる。夜な夜な女子寮を訪れる「女子寮アラシ」、来る者は拒まない「女子大生ゴロシ」…そんな噂が3人の周りにあふれていた。噂を聞くだけで実情を私は知らないが、容易に想像できる…火のない所に煙は立たないのだ。剛が女の子と喋っていると、横から恭平が口を出す「おねえさん、剛と口をきくと妊娠するよ。」剛は苦笑するしかない…。私は彼らのそのパワーに敬意を込めて「照和の3N」と呼ぶのだ。

照和にいればデビューのチャンスがあるという話はすでに過去ものになった。レコード・デビューをしたければヤマハである。恵介が照和のマネージャーを辞めて、ヤマハに入った。恵介はコンテストに出場させるバンドを勧誘する。そして入賞すればそのチャンスはやってくる。しかし、プロの道は厳しい。成るのが容易になっても、続けていくことの困難さが待っている。
剛がポプ・コンに出た。そして入賞し、「ビクターレコード賞」を獲得。即、ビクターレコードからデビューする話に飛びついた。「剛、やめとけ。まだ、早い。焦るな。」私は反対した。しかしプロになりたい剛はビクターからデビューした。曲は「雨の嵐山」、しかも「ツヨシ」ではなく「ゴウ」の名前で…。

半年もしないうちに剛は私の前に現れた。「もう一度、照和で歌いたい…」。人間、挫折を知ると強くなる。シャイアン族と交わり、ステージのしゃべりも上手くなった。岩切いわく「剛の前で新曲を歌うと、次のステージで剛がもう歌っている。」シャイアン族の金太郎も同じようなことを言っていた。
“盗作の剛”である。「剛、ほんとか?」「違いますよ。アイデアをもらっただけです。」貪欲に曲を作る剛。剛のステージを見に来る客が増えた。客の反応で曲の良し悪しを判別出来る。自然に洗練されて、いい曲を書くようになる。…照和のステージはお客さんがミュージシャンを育てる。
ステージに出る前は、地下の階段で発声練習を欠かさない。剛のプロ志向が本物になった時、私は甲斐よしひろと同じものを感じた。2度目のコンテストで入賞した剛に再デビューの話が来た。今度は、流されず自分の意見を主張した。「拓郎さんのいるユイに入りたい。レコード会社は東芝EMI。」。「巡恋歌」で再デビューを果たした「長渕剛(つよし)」は照和から羽ばたいていった。


あとがき

バンドの時、カツやセイカは4歳下。マネージャーになった時はほとんど5歳以上、年下の連中ばかりだった。彼らの世代で5歳も上だと、私はかなり「おじさん」だったのだろう。誰も近づかない、話が合わない…孤独なマネージャーだったのだ。まぁ、本人は若いつもりでいたからそんなに気にもしていなかった。この歳の差を利用して、私は反論がないのをいいことに、ステージのことやバンドのことなどいろいろと言いたか放題であった。
剛の話はほかにもいろいろとあるが、思い出すと、剛にとって、ろくな話ではないのでやめた。それでも、知りたいという人には…。やっぱり、やめとこう。

いちろう 2009年1月22日






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