1970年物語−2
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1970年物語(season2)

01  菩提寺
02  Beginner's Luck
03  ミルキー・パトロール
04  サウンド・インパルス
05  この木何の木
06  ハッピー・フォーク
07  東 京
08  岸川さんのユウウツ
09  オニマ〜ルです。
10  唐津・虹の松原
11  リアカー部隊
12  カウントダウンライブ
13  小松ヶ丘を後にして1
14  小松ヶ丘を後にして2
15  城島高原キャンプ場
16  居候
17  再出発
18  渡辺プロダクション
19  解散.コンサート
20  風来坊
21  最後のマネージャー
22  照和出演バンド一覧-1
23  照和出演バンド一覧-2
24  照和出身ミュージシャン
25  照和のオーディション
26  シャイアン族が行く
27  俺はツヨシだ!
28  追い詰められるライブハウス
29  キヨさんに会ったらよろしく
30  泣き虫タツヤ
31  森山達也
32  ロック・ディの功罪
33  風の中のノバ
34  終焉の足音
35  1978年11月30日木曜日
<最終章>
01 1979年
02 伝説のはじまり
03 コンサート
04 同窓会コンサート
05 照和伝説同窓会コンサート1




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第29回 キヨさんに会ったらよろしく


私の大切な友人に榎本紀代がいる。照和に出始めの頃に、有馬エリに紹介された。キヨさんは有馬エリや椿ゆう子と専門学校で知り合ったという。二人が「照和」で歌っていたのでキヨさんも出入りするようになった。ステージは見ない。いつも一階の喫茶店でたむろしていたので、誰とでも顔見知りなっていた。キヨさんを知らない奴は「照和」ではモグリといわれた。

キヨさんはメキシコに一年間留学した。「なして、メキシコへ?」ボブ・ディランとロバート・デ・ニーロがいるアメリカに行きたかったが、予算の関係で隣のメキシコにしたという…何のこっちゃ。よう、わからんが、そういう発想の持ち主である。お土産にバンダナと「ロバのくそ」という名前のタバコをもらった。吸うのにちょっと勇気が必要なタバコだった。メキシコ・オリンピックの時、日本はサッカーで銅メダルを取った。快挙である。そのとき活躍したのが「釜本」。「エノモトはカマモトの親戚か?」と何度も聞かれたそうだ…キヨさんの話はとにかく面白かった。

ボブ・ディランの初来日の知らせはキヨさんを歓喜させた。照和のステージに貼ったポスターを当然のようにせがまれた。私はキヨさんのためにポスターをもう一枚手に入れる羽目になった。ディランの公演は東京と大阪のみ。この時代、博多まで来るミュージシャンは少なかった。大名にあった「多夢」がボブ・ディランのコンサート・ツアーを企画した。入場料、飛行機代、宿泊費がセットになったものだった。私たちはディランに会いに大阪に行くことにした。
キヨさんは「多夢」のオーナー管さんに無理を言って、チケットだけ買って先に出発した。キヨさんは賢い!キヨさんの予想通り、ツアーはコンサートの開場時間に間に合わなかったのだ。伊丹空港から枚方市の松下記念体育館までが渋滞に巻き込まれた。「まぁ、時間通りに始まらないから…」という期待は見事に外れた。会場でディランの歌に酔ってるキヨさんを見つけた。「何しよったとう?始まってもう30分以上たっとうよ。」時間厳守のディランだった。

それまでもキヨさんと何度か酒を飲みに行っていたが、私がミスター・ドーナツを辞めて、照和のマネージャーになってからは一緒に飲む機会がうーんと増えた。会社帰りのキヨさんが照和に現れる。もうそれだけで暗黙の了解。照和が終わると飲みに行く。その時、近くに人がいれば誘って連れて行く。岩切も何度か一緒に来たがキヨさんのペースについて行けず脱落。それ以後は誘っても首を縦に振ることはなかった。
天神界隈の安い飲み屋は屋台を含めて、ほとんど制覇した。甲斐よしひろご用達の屋台「喜柳」。天ぷら定食が安くてうまかった。ある時、偶然に、売れるうんと前の剛に会った。「あれ、帰ってきとったとか?」「あ、はい。」「照和に顔出せばよかったとに…」「あ、いや。」心なしかお疲れのご様子。「一緒に飲むか?」「いや、明日も早いんで、これ食ったら帰ります。」「ふーん、そうか。まぁ、頑張れよ。」「はい、ありがとうございます。」ふと、見ると、見覚えのある肩下げバック…私が使っていたもので、剛がずっと欲しがっていた。照和を辞める時に記念に剛にやったものである。「まだ、使いよったい?」「ああ、これ?重宝してます。」
明治天皇に献上されて有名になった…司馬遼太郎の本にそう書いてあった。名酒「剣菱」。その当時、博多ではほとんどお目にかかれなかった。が、その「剣菱」を置いている屋台を偶然に見つけた。キヨさんと屋台に行くときはトイレに近い屋台、ということが最優先事項だった。「安兵衛」は警固神社の公衆便所に比較的近いところにあった。暖簾をくぐって腰掛ける。目の前に、えっ?もしや…こ、これは剣菱?思わず「これ、売ってるんですか?」と馬鹿なことを聞いた。「ああ、売ってるよ。飲むかい?」偶然というより、必然だったのだ。「剣菱」がワシ等呼んだのである。

で、結局行きつけの店になったのが今泉の「焼き鳥信長」。福岡の焼き鳥屋はどうして戦国時代の名前をつけているのだろうかと、今でも不思議に思っている。誰か知っていたら教えて下さい。さて、この「信長」で次回の登場人物と何度も顔を合わせることになる…


あとがき

前回も含みを持たせて終わった。そして今回も…。2回連続で次回を期待させるような終わり方をした。次回の内容次第では進退問題に発展する。まぁキヨさんのことを書いておきたかったし、今回もそれなりに楽しめるんじゃないかな、と。今もキヨさんと会うと酒を飲む。この時に比べると飲む量は減った…かなぁ?一年前は坂田君と3人で5合瓶の焼酎を3本空けた。それから坂田君の事務所でビールを買って飲み直した。変わっとらんやん!飲む量は変わっとらんかも知れんけど、みんな酔っぱらうようになった…かな?

いちろう 2009年1月23日






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