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20代最後のこの年、私は人生最大の危機を迎える。「30歳まで好きなことをしよう」それを実践したツケが怒涛のように現れた。大学を一応、卒業したものの、卒業から5年余り経過。社会経験なし、技術なし、免許なし…ないない尽くしのもうじき30男。やる気だけでは、世間は認めてくれなかった。半年間で2〜30通の履歴書は送った。うち、面接をしてくれたのは半分以下。しかも、やる気なさ丸出し…。まるで「アリとキリギリス」。アリさんは言う「どうしてバンドをやめたの?僕たちは一生懸命働いていたもんね。」キリギリスには返す言葉もなく、気力が失せていった。そうか、世間というものはそういう風に見ていたのか…いやいや、キリギリスなりに頑張っていたんだ。結果が出なかったからといって、アリにそう言われる覚えはないわい!
今で言えば「引きこもり」かなぁ?落ち込んだなぁ…。この頃、西公園の下にアパートを借りていた。家賃はどうやって払っていたんだろう?多分、思い出したくないから…覚えていない。人に会ってもいい顔が出来ないから、誰にも会わなかった…というようなことを思っていた。でも、会いに来てくれる人には作り笑顔…でも、見え見えの笑顔、かな?
榎本紀代。紀代さんが一升瓶を提げてやって来る。この当時、紀代さんと飲むと一升瓶一本じゃ足りなかったのだ。紀代さんとはただただバカ話をしながら、延々と夜明けまで…楽しかったし、嬉しかった。坂田修一。修ちゃんが一升瓶を提げてやって来る。この当時、修ちゃんと飲むと一升瓶一本じゃ足りなかったのだ。修ちゃんとはただただ、黙って…飲んでいた。まぁ、それが修ちゃんだし、嬉しかった。
どういうわけか、親父がやって来る。馬鹿息子を心配してくれていたのだろう。「イチロー、昼飯食うたか?」「うんにゃ、まだ。朝飯も食うとらん…。」「よし、なら、鰻ば食いに行こう」親父は何故か鰻が大好物なのだ。…後年、親父が入院した。見舞いに行くと「イチロー、腹が減っとうと、鰻が食べたか」という。都合の良いことに、病院の前に鰻屋があった。さっそく持ち帰りの鰻の弁当を買ってきた。親父はそれを美味そうに食べる。その夜、兄から電話があった。「お前、親父に何ば食わせたとか?」「いや、なんも…」「嘘つけ!親父が白状したとぜ。一郎から鰻ば買うて貰うたて。」「ええ、まぁ、親父が食いたいって言うけん…」「馬鹿タレ!親父は検査のため食事をしとらんやったったい。何も食べ取らんとに下痢したけん、医者が大騒ぎたい。」「そげん、言われても…。ワシ、検査とか知らんやったし…」首をかしげる医者に親父がポロリと一言「昼、食った鰻のせいかいなねぇ」。兄は医者に呼び出され、検査の段取りが狂ったことをこっぴどく叱責されたらしい。「あなた方は、お父さんを殺す気ですか」とまで言われたらしい。
鰻を食べた帰りに市場の総菜屋に行って、弁当を二つ買う。「さっき、食ったばかりやないね。」「お前の晩飯たい」そう言って親父は帰っていく…。こういう時、普通の親なら小遣いをそっと呉れるのじゃないか?弁当はなかろうもんと、その夜、弁当を食べながら思ったものである。
「門田さん。残念ながら今回は採用を見合わせていただきます。でも、もう一度挑戦してみませんか?」「はい?」「経験も技術も問わない。あなたは中途採用者で営業に回されます。営業マンに最低限必要なのは運転免許です。あなたにはそれがない。」唯一、親身になってアドバイスをしてくれた某不動産会社の部長さん。彼の言葉は有り難かった。で、さっそく自動車学校に…。落ち込んでいた時期で、あまり熱心ではなかったこともあり、人より倍のお金と時間をかけて半年後にやっと免許を取った。
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