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1970年物語/第五話 by/門田一郎 1973年「小松ヶ丘」 柏村が一軒家を探して来た。そう言えばあの忘年会の夜、2次会でバンドを続けることを約束してしまったのだった。おまけにどうせ寮や下宿住まいなのだから「合宿所をつくろう。」という話になり、柏村が家を探すことになっていた。 小松が丘にその一軒家はあった。大学から池に沿って2つ目のバス停が小松ケ丘である。裏道を通ると大学からは歩いて数分の距離である。三叉路になった角の家で2階建て。築何年というよりは、後何年で倒壊するという方に賭けたくなる。目の錯覚だと思うのだが傾いている…ように見える。 まず、玄関がない…すごいだろう?ガラス戸の入り口である。昔はきっとなにかのお店さんだったのだろう、ガラス戸を開けると土間になっている。この土間が1ヶ月も経たないうちにクラブの楽器置場となり足の踏み場もなくなった。土間に入るとすぐ右に12畳くらいの板の間がある。ここがわれわれの練習場となった。その横になんのためのスペースか知らないが2m四方の板の間があり、この部屋は久保の個室となった。180cm以上ある身体を猫のように丸めて寝ていた。 土間の正面には廊下があり、2階に上がる階段がある。階段の向かい側に、トイレなどと呼ぶにはほど遠い「便所場」がある。この便所、汲み取り式で一ヶ月も経たずに満杯になった。バキュームカーが取りに来てくれるまで大便は禁止。昼間に学校で済ますか、朝まで我慢。どうしても、どうしても我慢出来ない時は庭に穴を掘って済ますことにした。便所の前を通り抜けるとその奥に4畳半ほどの「物置部屋」があり、低いトタン屋根に覆われていた。後にこの部屋を改造して藤永が個室として使った。 12畳の板の間の隣に8畳の居間があり、われわれの食堂兼遊技場兼娯楽室である。居間の右にはキッチンとは言い難い「炊事場」がある。一升炊きの電気釜に1日2回、飯を炊く。米代は合宿費に含まれる。冷蔵庫に物を入れる時は各自名前を書いておく。おかずは勝手に作って食べる。カレーなど余分に作った時は一杯いくらで売り買いをする。 居間の続きに縁側があり、庭がある。縁側を右に行くと(炊事場ととなり合せになる)これまたバスルームとは呼びたくない「風呂場」がある。この風呂場には脱衣場がない。居間の障子の影で着替えるのだが、この障子、半分から下がガラスになっている。目の高さに障子があるとガラスのことを忘れてしまう…。 この風呂が石炭風呂で、湧かすのに手間がかかる。石炭も必要であるが石炭に火が移るまでの薪も必要なのである。石炭は何とか手に入ったのだが薪がない。庭の垣根の板を使い果たすと風呂場は洗濯室となり、バスに乗って友泉亭まで銭湯に行くようになった。 居間の左に襖を隔てて3畳間がある。リーダーである私の個室である。万年床に文机。居間の喧騒をよそに、頬杖をついて窓の外をを眺めながら詞作にふけっていた。 2階は4畳半が2間。柏村と萩野、藤永と木下が相部屋となる。この2間がこの妙な作りの一軒家の中でまともな部屋なのである。 さて、家賃は月2万2千円。通常、学生には一軒家は貸してくれない。大学4年で卒業見込みである私と久保が住むことにしてこの家を借りたのだが…。 |
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