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1970年物語/第七話 by/門田一郎 「家出」 「家出」というとなんとなく悲壮感が漂う。しかし私の場合は留年したし、バンドの合宿のためにただ単に「家を出た」だけのことだから「家出」などと大袈裟に書く必要はない。まぁ良く言えば「自立」の道を選んだのである。 おふくろが私が中学の時に死んでから10年、愚れなかったというだけで親父にとって私は孝行息子だったらしい。高校時代は夜学に通って昼間は家の手伝いをした。かといって親父の代わりにお経を読んだわけではない。本堂の掃除から境内の掃除、墓掃除。お寺に参拝に来る檀家のおじいさん、おばあさんにお茶を出したり話し相手になったり、…まぁ小坊主みたいなものだな。 親父は私を呼ぶ時に「いちー!」と叫ぶ。…犬じゃないんだからね、俺は。 「お坊ちゃん、なにか悪さをなさったんですか?お上人が怒ってますよ。」親父の私を呼ぶ声を聞いた檀家のおばぁちゃんが心配そうに聞いてくる。 「いえいえ、ご心配なく。お上人は機嫌が良いほど大声になるんですよ。」と、答えつつ私は親父のもとに一目散に走り出す。…やっぱり犬か、俺は。 そんな檀家さんからは「良く出来たお坊ちゃんで…」とおほめの言葉と賽銭代わりに時々小遣いをもらった。 朝は姉が朝食の用意をして学校に行く、昼に私が買い出しに行って夕食の用意をして学校に行く。我ながらほんとに良い子だったな。大学に入った時には次兄が家に戻ってお寺の後を継ぎ、結婚までしてくれた。兄嫁という女神が私から家の仕事を解放してくれた。それでも親父は「いちー!」と叫び、私を呼びつけるくせは治らなかった。 何をするにも反対しない親父であったが「家を出る」とは言い出せなかった。そこで「今日は友達の所に泊まってくるから」と言って少しづつ荷物を持って出かけた。それを何度か繰り返し、最後に布団を持って家を出た。後で姉から事情を聞いた親父は「あのアンポンタンが」と一言いっただけだった。 |
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