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1970年物語/第十話 by/門田一郎 「合宿所」 「フォークソング愛好会」の部室は10人も座れば満員になる小さな部屋である。授業がない部員または授業をサボった部員が暇つぶしに集まる場所でもある。薬学部3年の大森は「三輪車」というバンドでベースを弾いていた。その大森がギターを始めた。部室で久保を捕まえては 「久保さん、これはどうやって弾くと?」と、しつこく聞く。 「うるさい奴っちゃな、お前は。こう、弾くったい。」と、言いながらも嬉しそうにギターを弾きはじめる。久保はただギターを弾いて見せるだけである。大森は久保が弾くギターを熱心に見聞きする。そして水を吸い込むスポンジのようにマスターしていった。 この男、大森義和。一年後、大学を中退し「甲斐バンド」のリードギターとしてプロになった。…うーん、才能のある奴とはそんなもんだな。私の場合、そういう才能は見当たらなかった。楽器を含めて音楽的な才能は久保には敵わないと始めから諦めた。どんなに頑張っても久保の足元にも及ばない。足元にも及ばないから近づこうとしない。近づこうとしないから大森みたいに一所懸命練習をしない。練習をしないからギターも上達しなかった。久保とバンドを組んでいれば上達する必要もない。その代わり、久保にない才能が私にあるはずなのである。それが何かは判らないが… 授業が終わるとそれぞれバンドの練習を始める。この狭い部室では練習は出来ない。われわれは合宿所に戻って練習を始める。夕方5時を過ぎると後輩達が楽器を下げて合宿所にやってくる。部室は人の出入りも多いし戸締まりも不用心、実際に楽器を盗まれたこともある。かといって毎日ギターを下げて通学するのも億劫である。そこで合宿所が楽器置場となってしまった。彼等はこの合宿所を「第2の部室」と呼び、住人がいなくても勝手に出入りするから誰が住人かわからない。電気の集金が来ても「すいません。今、住んでる人は留守です。」と答え、何度も支払いを延ばしたことがある。レコードを聞いたり、ギターの練習をしたり、麻雀をしたりと合宿所には常に10人以上の人間があちこちにいた。試験中になると人がもっと増える。ノートの貸し借りをやって一夜漬けの試験勉強をみんなでやるのである。 経済学部4年の長岡和弘は「リグビー」というバンドでベースを弾いていた。 長岡が私の部屋に入って来て、感心したように部屋を見回している。私は隙間風が入る大きな窓の前に置いている文机に向かっている。 「門田さん、『風』という歌はいい歌やね。あの詞はここで書いたっちゃろう?」 「はぁ?」…なんだ?突然に。 「みんなが隣で騒ぎようとに、一人でこの部屋に閉じこもって、風がこの窓を叩くのを聞きながら書いたっちゃろう?」長岡は歌詞の内容をこの部屋で確認し勝手に合点する。 …「風」は久保が書いた曲に後から詞をつけた曲で、藤永が始めてリードボーカルをとり、一躍女の子のファンを増やした曲でもある。 「あの歌を聞くとさ、門田さんがそうやって詞を書いたっちゃねえって、眼に浮かぶもんね。」 …長岡には悪いが、この詞は合宿所に入る前に書いたものだった。この長岡和弘。一年後大森と共に『甲斐バンド』のベースとしてプロになった。 |
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