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1970年物語/第十一話 by/門田一郎 「照和」 福岡の天神に「照和」という小さなライブハウスがあった。1、2階は通常の喫茶店。ライブハウスは地下1階にあり、当時は「フォークソング喫茶『ヤング照和』」という名前で呼ばれていた。客席は約60席。入場料はドリンク付きで400円(くらいだったかな)。ビールなどのアルコール類は一切置いていなかった。ワン・ステージは30分から1時間で演奏時間はバンドに任されていた。平日は夕方6時から9時までの4ステージ、2組のバンドが出演する。土曜、日曜は1時から。1970年11月に開店した『照和』は1978年11月末に幕を閉じた。 この照和からプロになったのはソロ、バンドを併せて28組。延べ74人。チューリップ、海援隊、甲斐バンド、ラム、アレキサンダー・ラグタイム・バンド(ARB)、長渕剛、シーナ&ロケット、ロッカーズ、モッズなど。しかしチューリップ、海援隊、甲斐バンド、長渕剛など今でもミュージシャンとして、また陣内孝則や石橋凌のように役者として活躍しているのはほんの一握りの人間たちである…。 合宿所に照和のマネージャーをしているという広津君が訪ねて来た。照和には「三輪車」や「リグビー」「野多目ジャグバンド」などクラブの後輩バンドがすでに出演していた。久保もかつては「ケンとガッキーズ」というバンドで出演したことがあったらしい。 「門田さんですか?はじめまして、僕、広津といいます。じつは… 照和でリーダー格だったチューリップと海援隊が相次いでプロとしてデビューし上京したので出演するバンドを探しているという。 …それで妙安寺ファミリーバンドに出演してもらえないかと思っているんですけど。」 「門田、俺、照和やら出んけんね。あげんな暗いとこは好かんし、雰囲気が悪かやね。」経験者の久保が即座に答える。この男、初対面の相手にはめちゃくちゃ愛想が悪く、突樫貧な言い方になる。 「久保さんちゃ、そげん言わんでも良かろうもん。今は僕たちも出ようし、雰囲気も良うなったよ。それにチューリップと海援隊がおらんごとなって客が減ってきたけん、それに代わるバンドて言うたら、久保さん。妙安寺しかおらんて言うて広津さんば連れて来たとよ。」仲介役のリグビーのベース、長岡が力説する。 「みんな、どうする?俺はね、久保はあげん言いようけど出てみようと思うとばってんがね。」私には久保を説き伏せる自信はある。バンドは人に聞いてもらってその価値がある。こういう機会は向こうからはやって来ない。マネージャー直々の出演依頼である。…照和に出演するのにオーディションがあった。我々はそれを免除される。オーディションなどされると緊張しまくって落とされるかもしれん。それに今、久保は我々の居候である。文句は言わせん。 月曜日の7時と9時のステージを受け持つことになった。6時と8時のステージは「甲斐よしひろ」。彼は高校を卒業後、一旦は会社勤めをしたが音楽への夢が忘れられず、ソロで活動しプロを目指していた。チューリップ、海援隊が去った後の照和で「リンドン」(「甲斐バンド」より半年ほど先にプロデビューを果たしたが2〜3年後に解散。ギターの田中一郎は石橋凌と後に「ARB」を結成。ドラムの伊藤かおるは「チューリップ」に参加する。)と人気を二分していた。 初ステージの日、約60席ほどの客席は満席で立ち見の客までいた。照和にはちゃんとしたステージはない。バンドが演奏出来るスペースと3〜4本のマイクがあるだけ。しかし我々妙安寺ファミリーバンドは7人編成である。そんなバンドは普通いない。横に一列に立つことが出来ない。仕方無しに我々は二列横隊になって演奏をした。 8時の甲斐のステージが終わり、我々は9時のステージに立った…。 「あらぁ、こら寂しかね。わしらの方が多いばい。」客席には女の子が2〜3人しか残っていなかった。ステージに7人立っている。演奏をしながら思った。これが現実である。今日のお客さんはすべて甲斐のファンで埋められていたのだ。我々は福大フォークソング愛好会という井の中の蛙だったのだ。 「帰りそびれたとかバスの時間があるとかいう人が居ったら、歌の途中でも怒らんけん、帰ってもよかけんね。」それでも彼女たちは最後まで我々の歌を聞いてくれた。 「あのぉ、私たち甲斐さんのファンなんですけど妙安寺も好きになりました。来週も最後まで聞いて帰りますから頑張って下さいネ。」演奏が終わった後、客席からそう声をかけて彼女達は帰って行った。彼女たちを送り出した後、我々はステージに佇んでいた。 「広津君、ちょっとここで練習しても、よか?」店内の掃除を始めたマネージャーの広津君に聞く。みんなも自然とうなずき、同意している。 「10時半位までなら、僕もここいいますからいいですよ。」 「甲斐、見とけよ。お前のファンをわしらの9時のステージまで聞いて帰るごとして見せるけんね。」ウェーターも兼ねている甲斐に宣言する。 「門田さん、これで妙安寺がファンが増やして月曜日は立ち見も満員で客が入れんごとなるよう頑張ろうよ。」 |
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