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1970年物語/第十七話 by/門田一郎 「打ち上げ」 私の実家である妙安寺で「妙安寺ファミリーバンド」の初めてのワンマン・コンサートを行なった。当日は近くの小学校では運動会、隣のお寺では葬式…ちなみに唐人町にはお寺が10数軒近くある。妙安寺が一番海側にあり、隣が吉祥寺。道路を隔てて成道寺と善龍寺が隣り合っていて、うちのお寺から都合4軒のお寺が並んでいるのである。参考まで…そして、うちのお寺では法事が行なわれていた。 そんな環境の中でコンサートは行われた。2週間の口コミだけの告知でも100人を越えるお客さんが来てくれた。恐る恐る、境内に入ってくる。境内に入って敷かれてあるゴザを見て戸惑う。…まさかゴザに座ってコンサートを見るとは予想もしなかったろう。ゴザの特等席が埋まるとあとは立ち見である。境内と墓地の境界の塀に寄りかかる。墓地の中に入り、墓石に腰掛ける…。 「トイレは家の中にありますから勝手に入っていいですからね。さて、今からコンサートを始めますがいつ終わるか解りません。後ろに書いてある持ち曲を全部歌ったら終わりにします。では一曲目はこの曲から…」 秋晴れの小春日和の下で持ち曲20数曲を唄い終わった。「…前代未聞のお寺でのコンサートはいかがでしたか?今日、ここに来た人は妙安寺が本当にあるお寺だと解ったと思います。そして、あそこにいる坊さんが私のパパです。」普段から顔に表情を現わさない親父であったが、突然紹介されて親父は狼狽する。…ざまぁみろと私は一人ほくそ笑む。このコンサートも楽しんでいるのか面白くないのかその表情からは窺い知れない。ただ、厭きずにコンサートを最後まで見ていたのだから息子のバンドを認めてくれたかも知れない。と、勝手に思うことにした。 「この後、恒例のコンサートの打ち上げを小松が丘の合宿所でします。今日、来てくれたみんなにも参加してもらいたいと思っていますので、参加しても良いと思う人は合宿所に6時集合です。それじゃ、コンサートは終わりです。ゴミはごみ箱に捨てて帰って下さい。それでは、解散。」西の空が茜色に色づきはじめている。後片付けを終えたバンドのメンバーが親父にそれぞれお礼を言っている。その時だけ親父がかすかに笑った様な気がした。が、それは入れ歯がはずれかけたせいだったかも知れない。「それじゃ、父ちゃん。行くね。」親父は「あぁ。」とだけ言ってそのまま家の中に入っていった。 コンサートなどではファンからのいろんな差し入れがある。われわれのバンドには食べ物の差し入れが特に多い。照和のステージなどで合宿所の生活を面白おかしくしゃべっている…ある日、合宿所に猫が迷い込んできた。はじめはミルクを上げたり、猫飯を作ったりみんなで世話を焼いていた。そのうち仕送りの一週間前くらいになると計画性の無さから金を使い果たし、猫に構う余裕がなくなってくる。構ってもらえなくなった猫は自活をはじめた。いろんなものを何処からか咥えて帰ってくる。ある時、自分の体くらいある大きさのビニール袋を咥えて引きずりながら帰ってきた。ビニール袋の中を見ると、小さなビニール袋に入った小海老の干物があった。「おぉ、お前は偉い!これはきっと『猫の恩返し』だ。」と言ってみんなで食べた…半分は本当で、半分は真実。まぁ、冗談のつもりで話しているのだが「あの人たちは食べる物に困っている。」と素直に信じる人が多い。 ある時、ステージで「この2〜3日合宿所に食べるものがなくて飢餓状態が続いている。」と言ったすぐに、次のステージの合間にパンの差し入れが山ほど来た。この時はさすがの私も惨めな気持ちになった。そして「これからは、ステージで食べ物の話はやめよう。」と心に決めた。が、差し入れのパンはおいしかった。 コンサートの打ち上げには手伝いに来てくれた後輩バンドや照和のステージを終えた甲斐よしひろや有馬えりなどが加わった。八畳の居間に10数人、練習場にも10数人がひしめき合って座っている。車を持っている田原が閉店間際の店を走り回り、売れ残りの惣菜など食料を調達してきた。打ち上げも一段落した時に目ざとく差し入れのケーキを見つけた田原が「門田さん、このケーキ食べていいかいな?」とケーキの箱を開けた。今回の差し入れの中にケーキが2〜3箱あった。「あぁ、好きなだけ喰いやい。」「それじゃ、いただきまーす。」田原がショートケーキを手にして食べようとした瞬間、誰かが後ろから田原の頭を押した。顔中ケーキだらけになった田原が顔についたケーキを食べ「あーっ、このケーキおいしい。ミチも食べり」と言ってケーキを持つと隣に居た柏村の顔にケーキを押し付けた。「うへぇ。なにするん田原。俺じゃ、ないちゃ。やったのは甲斐じゃけに、もう…」山口弁丸出しの柏村が仕返しするためにケーキを持って田原に投げようとすると誰かがその手を払った。ケーキは向かい側に座る藤永に当たった。今度は藤永がケーキを投げる。するとあちらからこちらからとケーキが投げられ合宿所はパニックに陥った。世に言う「小松が丘ケーキ投げ事件」である…誰も知らないか。 2〜30個あったショートケーキが宙を舞った。不吉な予感を察知した女性軍は早々と居間から抜け出し2階に避難した。襖や障子、畳とケーキの破片が飛び散らかっている。顔や体にケーキを投げつけられた被害者は逃げ遅れた女性を含めて10数人。私はその間、ケーキ投げを見ながら「ありゃりゃ、あとの掃除がおおごと(大変だ)。」と思いながら黙々と酒を飲む。ふと見ると、田原は同じ場所に座ったまま落ちて来るケーキを黙々と食っていた。 |
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