1970年物語−1
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1970年物語

◆1972年--------
01 妙安寺FamilyBand
02 歌え!若者
03 学園祭
04 師走

◆1973年--------
05 小松ヶ丘
06 留年
07 家出
08 福大発12番線
09 部室
10 合宿所
11 照和
12 甲斐よしひろ
13 フラワージャンボリー
14 フォークソング・コンテスト
15 田原典明
16 ワンマン・コンサート
17 打ち上げ
18 交差点の世界
19 NHK福岡総局
20 石橋凌
21 七隈祭
22 21人の晩餐会
23 続・21人の晩餐会

◆1974年--------
24 思春期/甲斐よしひろ詩集
25 甲斐バンド結成
26 ピエロの解散
27 萩野和人と仲西永明
28 夏の合宿・杉野井パレス
29 都城・恐怖の開かずの間事件
30 五月
31 藤瀬竜二の父
32 赤木商店
33 オーディション
34 ミスター・ドーナツ
35 いざ、築港へ
36 Take It Easy
37 フライド・チキン
38 九州ツアー・サマーフォークコンテスト



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1970年物語/第十九話

          by/門田一郎


「NHK福岡総局」

「あかんべぇ」や「ラム」「ピエロ」と我々「妙安寺ファミリーバンド」のLPレコード「交差点の世界」は3000枚プレスされ、1枚1600円で売り出された。博多での自主出版のレコードはチューリップがプロになる前に4曲入りのコンパクト版をKBCのスタジオで時間をかけて録音したのが最初である。この「交差点の世界」は博多では2番目の自主出版レコードになる。

別にノルマは強制されなかったが我々のバンドだけで500枚以上売って売上に貢献した。このレコード、今でもKBCやNHK福岡総局のレコード室のどこか隅っこに眠っているはずである。時々、思い出したように日本から「妙安寺の唄がラジオで流れていたよ。」との連絡がある。…そのくらい、私を知らなくてもワシ等のバンドは有名だったのだ、博多では。

NHK福岡総局は照和の並びにあった。当時のディレクター・島田源領さん(その後東京に戻り「加山雄三ショー」などの演出をしていた。)にお願いしてレコードの宣伝のためにラジオに出してもらった。バンドの演奏なしで話だけということでメンバーは三々五々集まり、気楽にスタジオで待機していた。
「萩野さん、昨日どこに行った?」藤永が興味津々に聞く。
「いつもの所さ。お前は何処に行ったん?」「多分、萩野さんと同じ所と思うよ。」
「ふーん」…なんだコイツ等、なんの話をしてるんだ?
「萩野さん、休憩?泊り?」…あ!コイツ等、こんな所でラブホテルに行った話をしている。
「泊り。」…そう言えば昨日萩野は帰って来なかったなぁ。
「僕は休憩で和室に入った。○○の間だったろうや。」「えっ?お前達、何時ごろ帰った?」
「9時ごろやったかいなね。」「げーっ、じゃぁあの布団のぬくもりはお前たちのか。うちら9時ごろから○○の間に入ったんよ。」
「ぎゃ、はっはっはー」とみんなが笑ってるところにアナウンサーの宮川さんが入ってきた。
「楽しそうだね?何の話?」「実は萩野さんとぼくが…」…やめろ、バカタレ!放送されないとはいえ、ここは天下のNHKだぞ。

収録が終わって源領さんに呼ばれバンドの仕事を貰った。
「今度のは勤労(福岡県勤労青少年会館。LPをレコーディンしたホール)でテレビの収録。」
当然、福岡ローカルの番組である。全国ネットであれば源領さんの出番はない。
「県の主催でやるんだけど…、やっぱり無理かなぁ…」どうしようかと迷っている様子。
「なんですか?なにが無理なんですか?」
「いや、そのイベントに皇太子殿下と美智子様が来るんだよ。」
「へっ?まさか。皇太子殿下と美智子様の前で歌うんですか?ワシ等が?」
「違う、違う。皇太子殿下と美智子様はすぐに帰る。」
「ですよね。皇太子殿下はワシ等の唄なんか聞かないですよね。はははー」…直立不動で歌うのは難しいしそうだし、ワシ等あがり症だから。
「門田、お前たち雪村いづみと一曲何かやれるか?」意を決したように源領さんが言う。
「えっ?雪村いづみって、あの口が大きい、目の離れた。美空ひばりと江利チエミとで大昔に三人娘と呼ばれていた。あの雪村いづみですか?」
「お前ね、本人が聞いたら怒るよ。」「確かに、確かに。」

NHKのテレビのリハーサルは超がつくほど念入りに、事細かに行われる。まずバンドの立つ位置が決まると一曲唄わせられる。その間カメラの位置を決める。何たってカメラ3台をフルに使うのだから、ここでアップとか1カメはここでターンとか2カメは、3カメはと決めていく。決まったところでカメラを回してもう一曲。この間はカメラと照明のバランスを見る。顔色がよくないとドーランを塗られる。藤永のように色が黒いとドーランを塗られる。ここでようやく司会者が登場し、通しのリハーサルとなる。司会者とセリフのやり取りをするのだが彼らには台本があって毎度同じ質問をする。通しのリハーサルで三曲目を唄う。そして司会者が登場。
「妙安寺ファミリーバンドという名前の由来をお聞かせ下さい。」
「はい、僕の実家がお寺で、そこからつけました。」とにこやかに受け答えする。 次は通しのカメ・リハで四曲目を唄う。
「名前の由来は…」「はい、久保の実家がパーマ屋でそこから付けました。」
「えっ?さっきと違いますね。」「すいません。本番では真面目に答えますから…。」
いよいよ本番前の最後のリハーサル、五曲目を唄う。
「由来は…」「藤永の実家が八代にあるもんですから」
休憩時間があって、やっと収録本番となる。本番前にこれだけ唄えば声も嗄れるし、同じ曲を6回も唄っていると自分の唄でも飽きてしまうのだ。

今回の場合はステージのライブだからそんなに念入りなリハーサルはないが「雪村いづみと何か一曲…」というのは我々のバンドにとって大きなプレッシャーになっている。
「久保、どげんするや?」「うーん、どげんしょうかね?」
「まずはっきり言って、ワシ等のバンドが雪村いづみに合せることは、どだい無理バイ。ばってん雪村いづみがワシ等のバンドに合せることはできるっちゃないかいな?」
「そうたい、相手はプロやもんね。」と勝手に結論を出し源領さんに相談に行く。
「そうだな、それしかないな。じゃぁ、そう相手に連絡しとくよ。曲は“サンフランシスコ・ベイ・ブルース”をアレンジしたやつね。」原曲はそうであるが実を言うと原曲を我々はあまり聞いたことがない。我々が知っているのは「武蔵野タンポポ団」が日本語で唄っていた歌で、それを我々がアレンジして「博多湾ブルース」と名づけている歌であった。はたして雪村いづみは我々の「博多湾ブルース」に合せることができるだろうか…。





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