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1970年物語/第二十一話 by/門田一郎 「七隈祭」 バンドを始めて2回目の学園祭のシーズンを迎えた。昨年とは比べ物にならないくらい他の大学から出演の依頼が来た。当然、女子大からの誘いが多い。学校主催のもあればクラブ主催のステージもある。1つの学校で2つのステージをかけもちで演奏したりもする。しかし、我々の活動のメインはやはり福岡大学の「七隈祭」である。今年はクラブ主催のコンサート「フラワー・ジャンボリー」が2回とも成功し福大フォークソング愛好会の知名度も上がっている。 昨年と同じ第4食堂をかりて3日間のコンサートを行うことになった。部長の野中が私のところに相談に来る。そこで私がまたまた仕切ってしまうという塩梅である。 部長の野中曰く 「門田さんが言うと誰も反対はせんですもんね。」私は大学5年生、長老だもんね。 クラブ所属のバンド全員が出演するほか「甲斐よしひろ」をはじめ「リンドン」や「あかんべぇ」「ラム」など照和に出ているほとんどのバンドからクラブのコンサートに出演したいと要望があり、そのスケジュールを野中と作った。コンサートは朝10時から夕方4時までの6時間。1バンド30分で1日12バンド。午前中は結成して日が浅いクラブのバンドが出演。照和のバンドは客がピークになる午後に1バンド1時間のステージで日替わりで出演してもらう。照和に出ているクラブのバンドが日替わりでトリを務める…などなど勝手に3日間のスケジュールを決めていく。 入れ替えなしで入場料は氷ばかりのコーラがついて100円。レギュラーサイズ1本で2人分は作れた。3日間とも超大入満員で延べ3000人以上の客を集め他のクラブを羨ましがらせた。照和のバンドには今回は前もって「ギャラは払えん!儲かったら打ち上げをする。」と言って交通費だけを支払った。学園祭が終って見れば今まで手にしたことがなかった15万円以上の売上がクラブに残った。 「門田さん、この売上どうしましょうか?」部長の野中が聞いてくる。 「これからの後輩のためにクラブに音響機材を買おう。」とチラっと思ったが私は「飲もう!」と答えていた。 「うーん、わかりました。飲みましょう!」野中は意を決したように言葉に力を込めた。 「で、何時しましょうか?」「今日。」「えっ?今日ですか?今からですか?」「そう。今から!」 最終日の後片付けをみんながしている間に事は決定した。 「野中、クラブのメンバーは何人?」「30〜40人位ですかね。」 「よし、そんなら一人3000円くらいの予算で飲み食い出来る所を探せ。」 「メンバーへの連絡はどうしますか?」「お前ねぇ、みんなが後片付けをしているこの時間、この場所におらん奴は本当のクラブ員じゃない。ほっとけ!」 「野中、お前、部員は30人ぐらいて、言わんやった?」座敷に入ると5〜60人がすでに座って飲んでいる。知らない顔が沢山座って飲んでいる。 「はい、どうやら部員名簿に名前があって、一度も部室に顔を出したことがない連中がいっぱい来とうみたいです。」野中が済まなそうに答える。 「おい、お前うちのメンバーか?」近くにいた見知らぬ男を捕まえて聞いた。 「はい。はじめまして2年の○○です。今年の4月に入部しました。」 …お前ねぇ、クラブに入って半年以上もたって何がはじめましてだバカタレ! 「そんじゃ、お疲れ様でした。乾杯!」と音頭を取って、腰を落ち着けて飲みはじめようとしていると野中が仲居さんと襖の陰でなにやらひそひそ話。 「門田さん、予算がオーバーするそうです。お開きにしましょう。」 「ハレっ?お開き…?お金全部使っちゃたの?15万も…?全部?」…だって私はここに来て1時間も経っていないのだ。料理も食ってないし、酒だって… 当然飲み足りない騒ぎ足りない。3日間の売上は泡となって消えた。 「2次会は小松が丘(合宿所)でするから、各自酒と食い物を持ってくるように…」 多少残ったお金で酒を買おうとなった。小松が丘のバス停に酒屋がある。 「あっ、閉まっとう」「あら、酒が買えんばい」などと言ってると 「大丈夫です。僕が開けさせますから…」と後輩が一人、自信気に言う。酒屋は自宅兼用である。そこで時間外にシャッターをドンドンと叩くと酔っ払いだとみなされて決して出てこない。静かに風のようにトントン、少し間を置いてトントン、と繰り返し叩いていると「何の音だろう?」と気になって店に出てくる。そして店の灯かりが点いたら「夜分すみません。酒下さい。」と叫ぶ。店に出てきたついでだから必ず酒は売ってくれる…。見事、作戦は成功した。 結局はクラブのいつものメンバーが各々酒と食べ物を持って集まって酒盛りとなった。 ゲスト出演した照和のメンバーも差し入れを持って来てくれた。 「いやー、今年は盛り上がったね。」みんなの顔に充実感があふれている。 「野中、お疲れさん。」野中を横に呼んで酒を注ぎ、労をねぎらう。 「いやぁ、門田さんがいてくれて助かりました。来年もお願いしますね。」 「バカタレ。お前ね、俺5年ぜ。来年はもうおらん。それに俺は今日で愛好会に口出す事をやめる。妙安寺ファミリーバンドは愛好会から引退するやね。」…甲斐よしひろやリンドンの影響もあり、我々のバンドも少しづつプロになりたいという意識が出てきた。来年はそのための活動をしようと思っていた。小松が丘のせまい合宿所に40人ほど、身体をくっつけあって夜が更けるまでみんなで最後の打ち上げをした。 そのうちバタバタと飲み潰れてその場で横になっていく。今、ここいるメンバーが愛好会を支えてきた。来年は新入生が押しかけて大きくなるだろう。人が増えると今までのようなまとまりがなくなってしまうだろうな…。 朝、目が覚めると合宿所の住人以外は、いつのまにか誰もいなくなっていた。 |
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