1970年物語−1
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1970年物語

◆1972年--------
01 妙安寺FamilyBand
02 歌え!若者
03 学園祭
04 師走

◆1973年--------
05 小松ヶ丘
06 留年
07 家出
08 福大発12番線
09 部室
10 合宿所
11 照和
12 甲斐よしひろ
13 フラワージャンボリー
14 フォークソング・コンテスト
15 田原典明
16 ワンマン・コンサート
17 打ち上げ
18 交差点の世界
19 NHK福岡総局
20 石橋凌
21 七隈祭
22 21人の晩餐会
23 続・21人の晩餐会

◆1974年--------
24 思春期/甲斐よしひろ詩集
25 甲斐バンド結成
26 ピエロの解散
27 萩野和人と仲西永明
28 夏の合宿・杉野井パレス
29 都城・恐怖の開かずの間事件
30 五月
31 藤瀬竜二の父
32 赤木商店
33 オーディション
34 ミスター・ドーナツ
35 いざ、築港へ
36 Take It Easy
37 フライド・チキン
38 九州ツアー・サマーフォークコンテスト



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1970年物語/第二十四話

          by/門田一郎


「思春期/甲斐よしひろ詩集」

1974年、私は無事に大学を5年で卒業出来た。卒業に必要な単位は3科目12単位だったがアルバイトなどで授業にはほとんど出てなかった。試験前になると合宿所にクラブのメンバーが三々五々集まってノートを交換しながら勉強するので彼等のノートを借りて一夜づけの勉強で試験を受けていた。

卒業はしたものの就職する気はなく、バンドのメンバーとプロを目指してどこまでやれるかやってみようと話し合っていた。
若い藤永、木下は要領よく3年に進級し、大学生活はまだ2年はあるから余裕がある。
ベースの萩野はやっぱりと言うか当然、留年して5年になった。
3年を留年していた工学部の柏村は2度目の留年が決まり青くなった。バンドをとるか学業に専念するか悩んでいたが、当然のことながら学業を取った。プロになることが決まっていればバンドを取ったかもしれないけれど、プロを目指そうというバンドではこれからどうなるか不安である。バンドを辞めた彼は合宿所からも出て行った。確かに合宿所にいては学業に専念出来ない。合宿所に居るならバンドをやってた方がマシである。

私と久保、萩野・藤永・木下と5人のメンバーになってもバンドの音には何の影響もなかった。強いて言えばギターのパートが2本になってリード・ギターの久保から私のサイド・ギターに対して真面目に正確にリズムを刻むように厳命された。…久保はよく解っている。私はリズム感が悪いのである。

その頃、甲斐よしひろは焦っていた。チューリップ・海援隊に続くのは照和の人気・実力から自分しかいないと思っていたし、周りからもそう見られていた。それなのにリンドンがコンテストで入賞し、プロダクションからスカウトされて何の苦労もなくプロになり、先を越されてしまったからである。
甲斐はチューリップがやったようにデモ・テープをつくり、レコード会社に送っていた。CBSソニー・レコードの某ディレクターは甲斐のテープを聞いて「拓郎の亜流だ」と批評し「拓郎がいなければねぇ」と暗に「お前の唄はだめだ」と結論を下した。後日プロダクションが決まり、レコード会社を選定する時に甲斐はCBSソニーを一番最初に除外した、らしい。…博多の男は結構、こういうことで根に持つタイプが多いから注意しよう。

チューリップの紹介もありプロダクションが決まった甲斐にやっとプロへの道が開けた。4月にアマチュア最後のソロのワンマン・コンサートを福岡市立少年文化会館で行なった。うちのバンドから久保・藤永・木下がバックバンドで参加した。
私はコンサートに間に合うように甲斐の詩集を作ろうと思い立った。私はバンドで詩を書いていたけど真剣に書くようになったのは甲斐の影響が大きい。
「門田さん、このレコード良いから聞いてみて、特に松本隆の詩がいいよ。」甲斐が貸してくれた「ハッピーエンド」のレコードを初めて聞いた。聞きながら松本隆の詩を見て「こういう詩を書きたい」と素直に思った。

詩集を作るために甲斐から歌詞を書いたノートを預かった。見て唖然とした。字が汚い、ひら仮名ばかりで漢字が少ない、あちこちに書き散らかしている…。
30曲ほどの歌詞を四つのパートに分けた。手書きで編集しながら平仮名の歌詞に意味を損なわないように漢字を当て嵌めていった。
「かい、こんなこうせいにするばってんいいかいな?あとね、ひらがなばっかりやったらばかにみえるからなるべくかんじをあてはめてみたけんね。」こういうように平仮名ばかりだと読み難い。「甲斐、こんな構成にするばってんいいかいな?後ね、平仮名ばっかりやったら馬鹿に見えるからなるべく漢字を当て嵌めてみたけんね。」漢字を入れるとこうなる。分かり易いでしょう?

歌で聞いていると歌詞は曲のイメージと重なって音として耳から入って来る。しかし活字になると音がないので見る・読むことによって人の中でイメージされる。例えば「町」と書くと田舎に近い“TOWN”、人との出会いや触れ合いを感じさせる。これを「街」に変えると都会“CITY”となって人を拒絶しそうな冷たさを感じる。漢字一つを使い分けるでだけでもイメージが変わる…だから漢字は面白い。文を書く楽しさはここにあるかもしれない。

詩集のタイトルは「思春期」、これは当然ながら甲斐が自分でつけたもの。「安らかに眠る者を目覚めさせるために…甲斐よしひろ」と中表紙をつける。目次は…忘れた。
[PART1…恋時雨、春のブルース、ヘッドホーン、1のバラード、僕の好きな散歩道、昔話][PART2…帰り道、ランチ・タイム、ガタゴト列車、スゥイート・キャンディ、便り、絵日記、悲しき讃歌、白い夏]
[PART3…ランデブー、わからずじまいで、あの頃、バス通り、吟遊詩人の唄]
[PART4…四季、陽射し、ピーターパン、君が好き、師走、京都、雪どけ街、魔女の季節]
最後に甲斐が前年の秋、コンテストで全国大会に出場し金賞を獲得した「ポップ・コーンをほおばって」で締めくくった。

思春期…それはいつも拒否と苦悩をかねそなえ 美しいあの木もれ日の中からさえ悲しみをひきづりだす灰色の時期 …暗中もさく… 青々しくけれど痛々しい大人になることへのあこがれそして夢、抵抗、愛、SEX…etc その全てを僕自身への胸にもう一度きざむために そして毎日よろこび、悲しみ、苦しみ、そしてこれでいいんだ いいんだと胸の内に言い聞かせている あなた自身の心にきざむためにも…49・2・27 甲斐よしひろ
という甲斐自身の言葉でこの詩集は終っている。私の手書き、製本も手作業で300冊ほど作った。コンサートの終了後にすべて売り切れてしまった。

今、私の手元に一冊だけ残ったこの詩集がある。赤茶色の表紙に「思春期」と私がレタリングした文字が見える。「ちょうど25年前の今ごろにこれを作ったんだなぁ。」とページをめくる。白かった紙はすっかり黄ばんでいる。あの頃は精一杯きれいな字で書いたつもりだったんだけど…甲斐の事は言えない、私の読み難い汚い字が目の前に躍っている。




※註・この文は1999年に書いたものです。




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