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1970年物語/第二十六話 by/門田一郎 「ピエロの解散」 「ピエロ」は井手雅英(ギター)、上野俊二(ギター)、安部俊輔(ベース)の三人で結成したバンドである。クラブの後輩であるが照和では我々より先に出演していた。ベースの安部がバンドを脱退した後、井手がベースを担当し1年の飯沢(ピアノ)と松藤(リード・ギター)が加入して4人編成のバンドになった。4人編成になって音の広がり出て「チューリップの再来」と言われ、照和で俄然と人気が出てきた。 ヤマハのライト・ミュージック・コンテストがポピュラー・ソング・コンテスト(ポプ・コン)に名前が変った。その第一回ポプ・コンの全国大会で最優秀楽曲に輝いた西田恭平の『鐘』は「世界歌謡音楽祭」でも最優秀楽曲の金賞を獲得した。西田恭平は久留米出身のシンガー・ソング・ライターである。恭平があまり知られてないのはレコード・デビューした『鐘』がヒットしなかったからである。小坂明子の『あなた』も円ひろしの「飛んで飛んで飛んで飛んで…」という歌(曲名を忘れた…)も一発で終ってしまったが大ヒットしたから未だに彼等の知名度はある。それなのに恭平は…。その恭平も照和に出演するようになるのだが、今は恭平の話ではない。 ポプ・コンに出場するようにヤマハから照和のバンドに熱心な誘いが来る。甲斐よしひろも「恋時雨」で九州大会に出場し最優秀楽曲になった。全国大会に出場予定だったが甲斐は行かなかった。九州大会で入賞した曲の版権はヤマハに委託するという条項がありプロを目指していた甲斐はその条項を拒否したからである。照和に出てなくてもポプ・コンに出場してプロ・デビューをしたバンドは多い。「チャゲ&飛鳥」「クリスタル・キング」「チェッカーズ」などなど。ピエロが「あやつり人形」でポプ・コンに出場し、全国大会に進んだ。最優秀楽曲にならなくても優秀楽曲に選ばれるとレコード・デビューのチャンスがある。長渕剛が出場した時「ビクター・レコード賞」に選ばれてビクターから「雨の嵐山」でレコード・デビューを果たした。その時は「長渕ツヨシ」ではなく「長渕ゴウ」という名前でデビューした。…売れなくて、すぐ照和に戻って来たけれど。 ピエロにレコード・デビューの話が持ち上がった時、是が非でもプロになりたいという気持ちが強く、性急に事を進めようとする俊二と、その性急さに躊躇する井手との間に意見の食い違いが生じた。この意見の食い違いが二人の間に亀裂となり、やがてそれは修復が不可能な状況にまで陥った。そして、最終的な結論が出た時に彼等はコンサートで突然「解散宣言」をしてしまったのである…。 「マクリントック」はカントリー料理のレストランである。オーナーの上田純さんは博多でフォークが流行はじめた頃アマチュアのサークルのリーダーをしていた人である。純さんはカントリー&ウエスタンとデキシーランド・ジャズが好きで、我々のバンドを気に入ってくれて、可愛がってもらっていた。純さんからマクリントックの主催でコンサートをやりたいと話があった。「前半が妙安寺のカントリーとハッピー・ハウスのデキシーランド。後半はピエロのフォークと妙安寺のオリジナルで終る。」と熱っぽく語るのであるが… 純さんの要望で我々は本格的なカントリーの曲を5曲コピーしなければならなくなった。 バック・オーウェンスやマール・ハガードの大御所のレコードから唄いやすい覚えやすい曲を選んで練習を始めた。純さんのもう一つの要望は我々とハッピー・ハウスがジョイントで1曲演奏する事だった。ハッピー・ハウスは福岡大学器楽部のOBで結成されているバンドで我々にとっても大先輩の方々なのである。我々のオリジナル曲「春でした」を演奏する事になった。ハッピー・ハウスとの練習は「マクリントック」の常連客にNHKの島田源領さんがいて、純さんが頼み込んでNHKのスタジオを借りる事が出来た。 コンサート当日、「ピエロが解散する」という噂が広まり会場は半信半疑のピエロのファンがぞくぞくと詰めかけて来た。純さんが意図する客層と異なる雰囲気であるが、主催者としては客の入りが良ければ不満を言ってはいけない。オープニングはコンサート用に用意したカントリー&ウエスタンの衣装に初めての電器楽器を手にした我々が華々しく演奏を始めた。この時、ドラムにあかんべぇの霜田賢ちゃんを助っ人に頼んだ。 「英語の歌詞だから間違っても誰も解らない」と自分に言い聞かせ、生まれて初めてステージで英語の歌を唄った。続いてハッピー・ハウスが登場。カンカン帽に縦縞のジャケット、赤の蝶ネクタイというお馴染みのデキシーランド・ジャズのユニフォーム。ドラム、ベース、ピアノ、バンジョー、トロンボーン、クラリネット、トランペットという楽器編成。彼等の年季が入った演奏に心が弾んでくる。心が弾んだところで我々は純さんが用意したジャケットとカンカン帽を被らされてステージに追いやられる。突然の侵入者にも動じないハッピー・ハウスの演奏に合せて目茶苦茶なステップでダンスを踊る。ハッピー・ハウスの最後の曲で彼等の演奏で「春でした」を唄った。ハッピーな雰囲気のままコンサートは前半の幕を閉じた。 「僕たちピエロは今日、このコンサートを最後に解散します。」突然、上野俊二がそう宣言した。場内は騒然となり、泣き出す女の子もいる。信じないかも知れないけれど当時の照和は「ミニ芸能界」みたいなとこがあって、人気があるとミーハーの追っかけもいた。誕生日なんて言うとプレゼントを持ってくるし、バレンタイン・ディには腐るほどチョコレートを貰ったりする。私の場合は「チョコより酒が良い」と言ったらほんとにウイスキーを2〜3本貰ったもんね。信じないかも知れないけれど…。 突然の解散宣言をしたピエロのステージが終っても「アンコール!」の声が掛かってトリを務める我々はステージに上がれない状態が続く。そして前半とは全く逆の重苦しい雰囲気に包まれて我々は演奏を始めた。「あのバカタレ共が…」と心の中で罵りながら…。 |
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