![]() ![]() | 1970年物語−1 | |
| TOP | 1970年物語 | 1970年物語2 | ぼくのくぼ物語 | 友達辞典 | SONGS | 資料 | PHOTO | DISCOGRAPHY | LINK | BBS | CONTACT | | ||
|
1970年物語/第二十七話 by/門田一郎 「萩野和人と仲西永明」 「門田さん。俺、長男やから卒業したら実家に帰って親の面倒を見らないかん。今すぐじゃないけどバンドは辞める事になる。」と鹿児島アクセントで萩野が言ってきた。口下手で口数は少ないけれど女には手が早い、美男子の薩摩隼人である。ステージの帰りに私と萩野が女の子と飲みに行った時である。私たちは彼女に誘われるまま彼女のアパートで飲み直し、そのまま彼女の部屋に泊った。翌朝、私が目を覚ますと二人が妙にベトついている…。 「もしかして…お前等、ゆうべ何かしたろう?」私が寝ている間にこの二人は…バカタレ! 萩野が女の子と別れる時がすごい…というか、私には真似が出来ない。「他に好きな子が出来た」とか「嫌いになった」とか嘘でも何でもいいから理由を付ければいいのに、「お前に厭きた」の一言で終るのである、チェストーッ!(この掛け声に意味はない) 萩野はバンドのミーティングでも人の話を黙って聞いている。話が煮詰まってきた時に彼がボソッと言った一言が結論になったりする。ベースはハーモニーの中で派手さはないが、なくてはならない重要な存在である。萩野は我々のバンドの中で名実ともにベース・マンであった。 萩野に代わるベースを探し始めた。バンドの経験者で何人か希望する人間がいたがバンドの雰囲気にそぐわない。特別な条件があるわけではないがバンドは人間関係のハーモニーでもある。プロでもメンバー・チェンジをするとうまく行かなくなるケースが多々ある。 そんな時にマクリントックの純さんの下でシェフをしている仲西永明(なかにしひさあき)が「一郎さん。ベースを探しよっちゃろう?」と聞いてきた。 「そうたい。お前、友達多いけん誰かワシ等のバンドに合った人間知らんかいな?」 「実は一人、妙安寺に入りたいという奴がおるったい。」とカウンターの向こうから声を潜めながら身を乗り出してくる。 「へえ、誰や?」と、私も釣られて身を乗り出す。「僕。」「ボク…?僕って、お前…?仲西?」「そう、僕って俺。ひさあきちゃん。」 「…と、いうわけで仲西が入りたいて言いよったい。どげんする?」と皆に相談する。 「そうねぇ、仲西やったらよう知っとうし、アイツも結構バカやからワシ等に合うな。」と、音楽に関係なく人物本位で選ぶ。仲西に我々がプロを目指していることを承知の上で加入することを確認し、それなりの覚悟を自覚するように言い含めた。彼は学生ではないので仕事を辞めてバンドに入るという事は中途半端な決意ではなかったのである。 仲西がマクリントックを辞めて合宿所に引っ越してきた。当分は仲西に曲を憶えてもらうための練習が主体である。初めての練習の時、ウッド・ベースを手にして仲西が言った。 「ドは何処?」ガ〜ン!私は一瞬、目の前が暗くなった。 「お前…、まさか…、べ、べースは…」「うん。弾いたことがない。」 「あ、あのね。ワシ等はベースを探しよったとぜぇ」 「うん、知っとったよ。だけん僕が妙安寺のベースになりたいと思うたと。」 「うー………」 「門田さん、仲西がベースが出来んて知らんやったと?」と藤永が笑いながら私に聞く。 「カツ、お前知っとったとか?だったら、何でミーティングの時に言わんやったとか?」 「門田さんも、当然知っとうて思うとったもん。」…確かに仲西をメンバーに入れようと言い出したのは私である。 「知っとたら、入れんやったくさ…。普通、楽器が出来ん人間がワシ等のバンドに入りたいと、言うと思うか?」…そういう仲西だから我々のバンドに相応しい人間かもしれない。とにかく彼はバンドのメンバーになったのだ…。 当分の間、ステージや新曲の練習の時は萩野がベースを弾いて、別メニューで仲西のための練習もする。練習が終った後、仲西のベースの特訓。萩野が付きっ切りで教える。藤永や木下がギターの伴奏をつけて仲西の特訓に付合う。ウッド・ベースはフレットがないから自分の感覚でポジションを憶えなければいけない。またベースはリズム楽器であるから正確なリズムが要求される。弦が太い上に押さえ難い。弦を押さえた指には大きな水ぶくれのマメが出来る。指に出来たマメが潰れ、またその上にマメが出来る。それの繰り返しでベース・マンの指になる。しかも押さえる方の手の指だけではなく、弦を弾く方の手の指も同じ様になる。仲西の両手の指は絆創膏だらけになった。 「門田。もうアコースティックの時代は終りやし、音作りにも限界があるやね。俺達もそろそろエレキに持ち替えよう。」マクリントックのコンサートでエレキを使って演奏してから自分達の中にバンドとして何か物足りなさ感じていた。アコースティックのバンドにはドラムのようなリズム楽器がない。ドラムの音はステージでの演奏に躍動感がある。 「仲西にはウッド・ベースよりフレットがあるエレキ・ベースの方が弾き易いやろうし、一から鍛えるならベースよりドラムを叩かせようと思うやね。」曲によって楽器を持ち替えるのは今まで通りである。久保はリード・ギターをエレキに替えてドラムも担当する。藤永はバンジョー、久保がドラムの時リード・ギターを担当する。木下はスチール・ギター、フラット・マンドリン、フィドル。仲西はドラム、久保がドラムの時はベースを担当する。私はアコースティック・ギター、リズム・ギターでエレキに持ち替え、仲西がドラムの時藤永と交代でベースを担当する。アコースティックとエレキを併用した編成になる。 初めてエレキを持って照和のステージに立った時、自分たちの出している音のバランスが全くデタラメであった。個々の楽器の音が大きいだけで全体の音のバランスがとれていないのである。ボーカルにしても今までは久保や藤永の声が聞こえていたからうまくコーラスがハモれていたが、楽器の音で自分の声さえ聞こえないのである。エレキを取り入れる事でバンドに大きな課題が沢山出来た。このままではステージに出ることは難しい…照和のステージを当分休んで特訓をしようと考えていた時にお誂えの仕事が入った。 |
© since 2003 Myoanji Family Band/当WEBサイトの画像およびテキストの無断転載はお断りいたします。 | 2022-8/8 (Mon) 01:02 /223922 th |