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1970年物語/第三十三話 by/門田一郎 「オーデション」 「門田。今度、うちのオーデションがあるけど受けてみないか?」 NHKのディレクター・島田源領さんから誘われた。 「えっ?まさか…、『のど自慢』ですか?」NHKのオーデションといえば『NHKのど自慢コンクール』しか思い浮かばない。 「違うよ。NHKのオーデションだよ。」と言われてもまだピンとこない。 「何ですか?それ」と素直な疑問を口にする。 このオーデションに合格するとNHKでプロの歌い手としての待遇を受けるらしい。国営放送局であるNHKの内部的な自主規定なのである。 「そんなオーデションって前からやってました?」 「東京の本局では毎年やってんだけど、地方局でもやろうということになってさ。まず福岡でやってみようということになったんだ。」 「それでワシ等がオーデションに受かるとどうなるんですか?」 「そうだな…まず、妙安寺ファミリーバンドをプロのバンドとして出演してもらうことになるな。」「アマチュアのままで、デビューしてなくてもプロのバンドとして認められるんですか?」 「あぁ全国津々浦々のNHKでプロとしての扱いを受けるな。それに…」 「それに、何ですか?」「ギャラがまともに出るぞ。」「ワァオー!」 そういえばNHKに出るとNHK特製のバスタオルやトラベルウォッチなどの記念品を貰っていたのだった。源領さんに呼ばれるようになって源領さんの裁量で交通費とか制作協力費の名目でギャラを貰っていた。我々にとって受けて損はないオーデションである。落ちてもともと、それどころかディレクター直々のお声掛りである。落ちるわけがない…はずである。 知らなかったのだがこのオーデションはテレビで告知していたらしく、当日は100組以上のプロを目指す歌手や“自称”歌手たちがオーデションに詰め掛けていた。当然、その中には私のように『のど自慢コンクール』の予選だと思っている人も大勢いた。東京から審査委員として藤山一郎氏が来ていると言う。…なんとなく寒い予感がした。 自分の得意な歌をワンコーラスだけ歌って終わり。『のど自慢』じゃないのだからオリジナルでも良いと言う。当たり前である。バンドが他人の歌を歌っても仕方ない…と言うより私の場合は自分達のバンドの曲しか歌えない。楽器・機材を持ちこんでオリジナルを歌った。 「久保、この曲のワンコーラスってどこまでかいな?サビのとこまで歌ってもいいよね。」と勝手に解釈して人より長く歌った。「ハイ、そこまで」と天井の方から声がして歌の途中で止められた。…また寒い予感がした。 「この人の歌は歌詞が不明瞭で不合格ですね。」というのが、かの正統派長老歌手・藤山一郎氏の寸評であった。やっぱし…、寒い予感は当たっていたのである。 「いやぁ、門田。大変だったんだぞ。藤山さんが『不合格』って言うのを勝田(註:源領さんと仲の良い同僚の技術担当者。我々は彼にも可愛がってもらっていた。)と二人でそこを何とか言って、やっと合格にしてもらったんだからな」…持つべきものはディレクター。 「ス、スミマセン。ご面倒をおかけして。話す言葉は言語不明瞭ってよく言われるんですけど歌詞が不明瞭ってのはなぁ…」と納得がいかなくても、ディレクターのごり押しであっても我々はNHKのオーデションに合格したのである。 こうなると次のNHKの仕事が楽しみである。まぁ、送り迎えがあると思わないが交通費代わりのタクシーのチケットが貰える。楽屋の個室を割り当てられる。楽屋の前にバンド名が貼り出される。並の弁当が上の弁当になる。そして、なんたってまともなギャラが貰えるのだ。 ところがオーデションに合格した後、NHKから仕事が一つもこなかった。一番大きな原因は島田源領さんが転勤になった事にある。…きっとあのごり押し合格が発覚したに違いない。(註:島田源領さんはその後東京本局のテレビ制作に栄転になり「加山雄三ショー」などのディレクターとして活躍していたのである。) *弁解その3 これを読んでいただいている皆様にとっては何も関係ない事ですが、私は3ヶ月連続で締め切りの日までに原稿を書き上げる事が出来ませんでした。今月こそは絶対間に合うようにと心の準備をしていたのですが頭の準備が整わず編集長様以下イースター・ホリデーを楽しみにしているスタッフの皆様にご迷惑をおかけしました。 私も書かなくても良い「弁解」が3回目になってしまいました。これ以上、回を重ねると「弁解」のしようがありません。「弁解」は今回で最終回です。次回からは「言い訳」「反省」「開き直り」「自暴自棄」などのタイトルを用意しています。 これは2000年3月に書いたものです。いちろう |
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