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1970年物語/第三十四話 by/門田一郎 「ミスター・ドーナツ」 「人手は足りなくて、欲しいんだけどね…。うちは食べ物屋だから、その髪とヒゲは何とかならんね。」福岡に最初に出来た24時間営業のミスター・ドーナツ野間店に面接に行った。 「バンドをやってるので、切るわけにはいかんとですよ。」今では誰も想像も出来ないほど私には髪がワンサカワンサカあったのだイエーイエー。…“ワンサカ、ワンサカ”とくれば最後に“イエー、イエー”を使わなければレナウン娘に失礼になるのだ。「ふーん、バンドをやってるのか…仕方ないな。夜中だからまぁいいか。」とオーナー兼店長は快く?私を雇ってくれた。 夜9時から翌朝8時までの11時間労働。週に3日働いた、ということは毎週3回は徹夜をしていたのである。時給は400円…くらいだったかなぁ。合宿所の小松が丘から南区の野間まで交通の便がない。バスで行くなら一度天神に出て、乗り換えていくしかない。これでは時間もかかるし金もかかる。何処からか自転車を調達して通うことにした。これが結構、距離がある。しかもなだらかであるが2つの丘を越えなければいけないのだ。それでもこのミスター・ドーナツで3年間働かせてもらった。 「休憩は目安として2時間に1回。コーヒーを飲んで煙草を吸う程度の時間。ドーナツはいくら食べても構わないからね。」当時の私はどちらかというと甘党であった。 ドーナツの食べ放題という言葉に心を動かされた。几帳面に2時間おきに休憩をとり、その度にドーナツを2個づつ食べた。5回の休憩で一晩に10個のドーナツを食べた。コーヒーも今では砂糖もミルクも入れないで飲んでいるが、この時はドーナツより甘くして飲んでいたし、コーヒーよりホット・チョコレートを好んで飲んだ。いっしょに働いていたスタッフ(夜は正規のスタッフとバイトの二人だけ)が気味悪そうに私がドーナツを食べるのを見ていた。おまけに食べた数まで数えていた。「門田さん、あれだけドーナツ食べて気分悪くならん?」ついに彼は聞きたい事を口にした。 「は、吐きそうです。」本当に吐きそうだった。これからはドーナツは1個づつにしよう。 24時間営業だが12時を過ぎると客足は途絶えがちになる。その間にコーヒー・メーカーやミルク・シェイクなどのマシンの洗浄、店内の清掃、窓拭きなどをする。ドーナツは4〜5時間経ったものは廃棄処分にする。「余ったドーナツはどうするんですか?」捨てると聞いて心が動揺する。「業者が引き取りに来て、豚のえさにするみたいだね。」「うちに豚みたいに飢えた人間が大勢いるんですけど貰って帰ってもいいですか?」えさの横取りをして豚に悪いなぁとチラっと思った。自転車のハンドルの大きな袋を下げてドーナツを持って帰った。ところがうちの豚共はドーナツに見向きもしなかった。 「いっちゃん、最近ドーナツを食べんね?」内藤さんは愛妻夜食弁当をひろげている。私はそれを見て唾を飲みこむ。「いやぁ、ドーナツは1週間に1個か2個で充分ですよ。あっはっは」と空笑いしながらが内藤さんの弁当を覗きこむ。空腹にブラック・コーヒーは良くない。 「いっちゃん、これ残ったけど食べる?」と内藤さんは私の視線にやっと気がついた。 「えーいいんですか?」と口より先に手が出ている。俵のおにぎりが美味かった。それから内藤さんが夜勤に入るたび愛妻夜食弁当の半分を私が食べる事になった。 仕事を終えて合宿所に戻るのが9時頃。着替えをして皆と練習に出かける。週に3回スタジオを借りて練習をしていた。睡眠不足はのどに悪いといいながら睡眠不足でも声が出せるように歌いこんでいた。声を潰したかったのだが歌いこむうちますます高い音が出るようになったので声を潰すのは諦めた。ハイライトを吸っていたがのどに悪いと言う事でセブンスターに変えた。「そう思うなら煙草をやめろ!」と言いたいでしょう?そう簡単に止められないのが煙草なんです。煙草を吸っても影響しないのどを作るためにも歌いこんでいた。夜は週に1回の『照和』のステージと中州にあるパブでライブをやっていた。天神から中洲まで歩いて10分程度の距離だけど楽器や機材が多いので運搬に苦労した。最後は実家のお寺からリヤカーを借りてきて運ぶようになった。 バンドの仕事がある時はアルバイトをはずしてもらっていた。それでも週に3回、人がいない時は4回入っていた。「門田君、誰かアルバイトする人はおらんかね。」夜中の仕事は長続きしないし、人手不足に悩まされるらしい。「店長、髪が長くてヒゲを伸ばしてる奴でもいいですか?」面接の時を思い出して少しの嫌味を入れる。 「えっ?あー、うん。門田君よりひどくなければ構わんよ。」やんわりとやり返された。さすがオーナー兼店長、役者が一枚上だった。大学のクラブの後輩であり『照和』でバンドをやってるメンバーに声をかけて二人がアルバイトを始めた。これでミスター・ドーナツ野間店の夜のバイトはバンド関係者になってしまった。 *「お客さん、おいくつでしょうか?」ドーナツの袋を選ぶために個数を確認する。「えーっ私ですか?17です。」「???」「あらー、歳じゃなかったんだ。」 *「はーい、お客さん順番です。背の高い順に並んでくださいね。」素直に従う少女達。「はーい、お客さん順番です。年齢順に並んでくださいね。」誰も従わないオバさん達。 *「あのー、あなたは門田さんっておっしゃるの」突然、ドーナツを買いに来たオバさんに聞かれた。「えっ?はい門田ですけど…」見知らぬ人に声をかけられるのは慣れているけれど…。「妙安寺とかいうバンドをやってらっしゃる門田さん?」 「はぁ、バンドをやってますけど…」「まーあ、やっぱり。いえ、うちの子がね、あなたのファンなんですって。ここで働いているのが本当に門田さんかどうか確かめてくれって言うもんですから。ほら、表の電信柱のかげにかくれているでしょう。直接聞くのは恥ずかしいんだって」私はこちらを盗み見ている中学生くらいの男の子に手を振った。彼は数年後『伊東一平とセクシー』というロック・バンドを作って博多で活躍する。「門田さん、覚えてますか?」と彼が「伊東一平」と名乗って『照和』に私を訪ねて来た。その時にこの話が出て彼が恥ずかしがっていた中学生の男の子だったのだ。 *「いっちゃん、今女の人から電話があって入り口に何か物を置いたから、なんとかかんとか言ってたけど…」伝える方が分かっていないのだから聞く方はもっと意味が伝わらない。とにかく裏口に出た。紙袋に包まれた何かが置いてある。「まさか、爆弾じゃないですよね。」包みを持つとほんのり生温かい。見知らぬ人からの弁当の差し入れだった。これほど不気味なものはない。人に恨みを持たれる憶えはないけれど…。お世辞にも美味そうとは言えない弁当である。「これ捨てたほうがいいですよね?」差入れはちゃんと手渡ししましょうね。 |
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