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1970年物語/第三十五話 by/門田一郎 「いざ、築港へ」 福大発の始発のバスで天神に行く。天神から徒歩で築港まで。ここで日雇いの荷役仕事を探す。金がなくなり、どうしようもない時に日銭を稼ぐために行った。早く行けば行くほど効率の良い仕事に当たるらしい。が、そうでない時は… 仕送り組の聖雅は堅実派で金に困ることは無い様子であるが、藤永は一ヶ月のうち貧富の差が激しい。久保は居候を決め込み、その上働く気力が見えない。低血圧で朝起きれないから夜更かしをする。彼が得意なのは徹夜の仕事である。田原が久保にうってつけの仕事を持ってきた。新聞配達である。朝刊を配って歩くのではない。トラックで地方に配送する仕事である。久保はバンドでただ一人運転免許証を持っていた。夜中の12時、刷り上った新聞をトラックに積んで、朝倉街道を抜け、天ヶ瀬を過ぎ最終地の豊後森まで新聞を配達する。朝方、トラックを新聞社に返して仕事は完了。深夜の運転は寂しいと、久保は常に誰かを連れて行きたがった。その良き相方が藤永であった。たまに私もついていった。途中で自動販売機のぬるいお湯のカップめんを食べたり、缶コーヒーを飲んだり、運転が出来ない相方は気楽なものであった。 その日は藤永と築港に行くことにした。お互いはじめての体験である。人の話を聞いて行くことにしたが、ダメもとの気持ちが強い…何事も経験である。築港に着いたのが7時過ぎ、船の積荷の荷役仕事は給料が良く、楽であると聞いていた。しかしその時間にはもう締め切られ、その仕事にあぶれてしまった。「せっかく来たから、飯でも食おう」となった。人夫相手の食堂である、安い。丼飯にあったかい味噌汁、旨い。これを食べただけでも築港に来たかいがあった、という気になった。飯を食べて外に出た。仕事にあぶれた人たちが通りに溢れている。何をしているのかと聞くと、ここに手配師がトラックでやってきて仕事をくれるという。ただし仕事は選べない。しかも早い者順、躊躇していると、トラックに乗り遅れ、またまた仕事にあぶれる。「カツ、行こう」不安気な藤永と二人、トラックに飛び乗った。 何処に行くのか、何の仕事か知らされないままトラックは走り続ける。荷台に人は乗せられないからフォローをかけたまま、外の様子が判らない、何処を走っているかも定かではない。「何処に行くとかいなね。」藤永の不安は募る一方。周りはその道のプロばかり、落ち着いたものである。中に化粧をしたオジサンがいた。オカマの花ちゃんと呼ばれ、有名らしい。その花ちゃんは横のオジサンにべったりくっつきながら藤永にウインクを送ったりする。ウインクを送られた藤永は不安がますます募り、パニック寸前になる。「いちろうさん、飛び降りて帰ろうよ。」無茶なこと言い出す奴である。 トラックは30分以上走って、目的地に着いた。ここは何処?状態である。手配師について事務所に入る。名前を聞かれ、仕事を教えられた。働く現場はここではなかった。またトラックに乗せられ、本当の現場に向かう。途中で二人、三人と別の現場に下ろされていく。結局我々は2時間近くのドライブをして、最後の現場である東中州の建築中のビルに戻ってきた。「仕事はビルの簡単な掃除と片付け」という手配師の甘い言葉をすべて信用したわけでもないが…。ビルはどこにある!完成したらビルになるかもしれないが、基礎を作ったばかりでコンクリートと鉄筋だけの穴である。現場事務所に入ると「汚れるからこれを履いて」とヘルメットと長靴を渡された。履いてきた靴を事務所において指示された現場に向かった。鉄筋の骨組みだけの地下3階に降りていく。足元はぬかるみ状態で、あちこち捨てられた鉄筋のくずやブロックを集め、片付ける仕事である。「いちろうさん、バイト代いらんからこのまま帰ろうよ」すっかり気力が失せた藤永。「でも、靴はどげんする?」藤永自慢のワークブーツは事務所に預けたままである。「いらん!靴はあきらめる。だけん、帰ろう?」 昼飯を食って、やや落ち着きを取り戻した藤永。「カツ、もう、こういう仕事はやめような。怪我をしたらバンドに影響するし」最初で最後の体験は4時に終わった。ピンはねされた日当4000円を貰い、靴も無事取り戻した。贅沢しなければ、これで一週間は暮らしていけるはずである。 バンドマンはやっぱりバンドの仕事が嬉しい。そのために練習をつんでいる。大分市のデパートの屋上での仕事はかまやつひろしの前座。「どうにかなるさ」が売れてた頃だった、と思う。1時間のステージを目一杯頑張って終了。一息ついてるときに主催者があわてふためきながらやって来た。「申し訳ないけど、もう一回演奏してもらえないか」という。かまやつ氏がまだ来ないのである。大分空港に着いた、車でこちらに向かってるはずだという。ただし、いつ来るかはわからないらしい。ざわめく客席の前に我々は再びステージにたった。「かまやつさんが来るまでもう一度演奏しますが、さっきと同じ曲です。みなさんも今からが本番だと思ってまじめに聞いて下さいね。」 「いやー、遅れちゃった。ゴメン、ゴメン。」とかまやつ氏はギター一本下げてステージに上がってきた。2時間ぶっ続けのステージはさすがに疲れた。ステージを交代する際に「ねぇ、君たち一緒にやんない?」と気軽に声をかけられたが…丁重にお断りをした。 |
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