1970年物語−1
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1970年物語

◆1972年--------
01 妙安寺FamilyBand
02 歌え!若者
03 学園祭
04 師走

◆1973年--------
05 小松ヶ丘
06 留年
07 家出
08 福大発12番線
09 部室
10 合宿所
11 照和
12 甲斐よしひろ
13 フラワージャンボリー
14 フォークソング・コンテスト
15 田原典明
16 ワンマン・コンサート
17 打ち上げ
18 交差点の世界
19 NHK福岡総局
20 石橋凌
21 七隈祭
22 21人の晩餐会
23 続・21人の晩餐会

◆1974年--------
24 思春期/甲斐よしひろ詩集
25 甲斐バンド結成
26 ピエロの解散
27 萩野和人と仲西永明
28 夏の合宿・杉野井パレス
29 都城・恐怖の開かずの間事件
30 五月
31 藤瀬竜二の父
32 赤木商店
33 オーディション
34 ミスター・ドーナツ
35 いざ、築港へ
36 Take It Easy
37 フライド・チキン
38 九州ツアー・サマーフォークコンテスト



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1970年物語/第三十六話

         by/門田一郎


「Take It Easy」

11月にイーグルスがメルボルンにやって来る。本当のファイナル・コンサートだそうな。オーストラリアに来る時はほとんど日本経由で来るから、日本でもその時期イーグルスのコンサートがあると思う。今回のコンサートにドン・フェルダーの名前がない。10年位前再結成された時のコンサートに行った私は、彼のギターのイントロから始まる「ホテル・カリフォルニア」を聞いただけで十分満足した。そして私は30年前に初来日した時の彼らのコンサートに思いを馳せる…

当時福岡では、いわゆる「外タレ」と呼ばれるミュージシャンのコンサートが少なかった。博多のファンは入場料より高い交通費を払って東京や大阪まで、運がよければ広島まで出かけて行った。2000人を超えるキャパを持つホールがなかったのである。そこで照和の前にあったスポーツセンターや九電体育館が使われる。コンサート用に作られていないので、こういう会場は聞く場所によると最悪の結果になることが多い。
カントリー色が強かったバーニー・リードンが抜け、ロック色の強いジョー・ウォルシュが加入し、「呪われた夜」のヒットを下げて初来日したイーグルスが博多にやって来るという。ところがなんとその一週間前にオールマン・ブラザーズのコンサートもあるという。知名度から言えばこの当時はオールマン・ブラザーズの方が上である。我々には両方のコンサートにいける金銭的な余裕は、当然ない。迷わずオールマン・ブラザーズのチケットを買った。それでもイーグルスは捨てがたい…。

「歌え!若者」の公開録音を見るためスタジオに行くと、レコードプレゼントのコーナーがあった。簡単なクイズに答え、私は初めてレコードを貰った。それがイーグルスの2枚目のアルバム「デスペラード」だった。合宿所で聞いていると「それ、イーグルスですよね?」という後輩の声。「最初のアルバムを持っているんですが聞きますか?」とファースト・アルバムを持ってきた。「テイク・イット・イージー」を初めて聞いた。「久保、ワシらこういうバンドになろう!」

ニッティー・グリッティー・ダート・バンド。多分、今はマニアックなファンしか知らないと思う。バンジョー、フラット・マンドリン、フィドル、ウォシュ・ボード、ウォッシュタブ・ベースなどなど楽器を持ち替えてのステージが楽しいカントリー・バンドである。前年福岡にやってきた彼らのコンサートにバンド全員で観に行った。久保は広島まで彼らを追っかけてコンサートに行った。彼らのコピーをやっていたのが野多目ジャク・バンド。彼らのステージのスタイルを取り入れ、オリジナルをやっていたのが我々妙安寺ファミリー・バンド。野多目の中野茂樹曰く「妙安寺を聞いた時、負けたと思いました。自分達にはオリジナルが作れない…」

「門田さん、イーグルスのコンサートに行くやろ?」行きたいのはやまやまだが金がない。
「あのくさ、九電体育館やけん上手くすればタダで入れるかもしれんよ。」藤永の誘惑に私はのった。…さて、これからは九電体育館にタダで入れる方法の説明である。ただし30年前の話だから決して真似しないように。というより、今はもう九電体育館なんかでコンサートはやってない?よね。まず、タダ入りに協力してくれるチケットを持っている人間と一緒に行くこと。チケットを持っている人間は多いほど良い。チケットを持っていない人間の数によるが、やましい事は早く終わらせるに限る。体育館だから二階席に窓がある。チケットを持って入場した人間は二階席の窓から半券を下に落とす。その半券を拾って何食わぬ顔をして「再入場」する。そしてそれを繰り返す。こうして私と藤永は無事タダ入りを果たしたのである。

うわぁ、人が少ない。先週のオールマンに比べると3分の1くらい?一階の席に7分位の入りである。迷わず前の空いてる席に陣取る。ステージのバックには彼らのジャケットに描かれているイーグルのオブジェが飾られている。グレン・フレイ、ドン・ヘンリー、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュ、ランディ・マイズナーがステージに現れる。“We are The EAGLES from Los Angels”グレン・フレイの短い言葉の後にいきなり「テイク・イット・イージー」が始まった…

私と藤永は興奮冷めやらず、合宿所でイーグルスのステージを熱っぽく語る。
「久保、ハーモニー、ハーモニー、すごかった。あの九電で完璧な音やった。」この頃ニッティー・グリッティー派だった久保はこのコンサートに行かなかった。これは一生後悔していい。
「久保さん、ランディ・マイズナーすごいよ。ベース弾きながら、高音のハモやもんね。」
ボーカルは高い方が良いというのが久保の持論である。彼の作る曲もだんだんキーが高くなっている。そしてコーラスはメロディラインより常に3度5度上につけられる。そして藤永には希望通りランディ・マイズナーのようにベースを弾きながら高音のハモをつけるようになった。
一階の真ん中当たり、聞いた場所が良かったのか、とにかく、私が行った数少ないコンサートの中でこのコンサートは最高のものであった。だから私はこのコンサートにタダ入りしたことを今でも後悔しているのである。

10年前に行ったイーグルスのコンサートはそれなりに良かったのだが、発展途上で活気溢れる時代に感じた物が当然ながら伝わってこなかった。「テイク・イット・イージー」と名曲「ホテル・カリフォルニア」を聞きたくて行ったようなコンサートである。だから今回4人になったコンサートに私は行かない。



付録・妙安寺友達辞典


あ行「あ」・有馬エリ   

照和の全盛期、マスコミに「照和の静御前」と書かれた。「小粒で数少ない美人の部類に入る女性シンガーである。」…これは小粒の女性シンガーと数少ない女性シンガーと美人の部類に入る女性シンガーということをまとめて書いたらこうなった。
1976年「化石」でレコード・デビューした。有馬エリのことを一般の人は誰も知らないから売れなかったのだろう。暗い照和のステージで一人弾き語りをする有馬エリ、同性の女性ファンが多かった。女性ファンにとってはカリスマ性があったのかもしれない。
彼女は私たちを「南公園動物園バンド」と呼んで一人悦に入っていた。我々のオリジナル曲「ゆきどまり」を気に入って、ステージで歌ってくれた。
私と久保、谷村(あかんべえ)、そして有馬エリで「寅年良い子の会」を結成。結成したけれど何もしなかった。ただ照和で最年長の年代だったというだけの会であった。





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