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1970年物語/第三十八話 by/門田一郎 「九州ツアー・サマーフォークコンサート」 …って言うタイトルだった?うわぁ、覚えていない、記憶にない。だけど、そうらしい。これは、きっと、小宮が付けたに違いない。とにかく南九州ツアーの話を書かないと、1970年物語は先に進まないのだ。それにしても前回はよく話をまとめたと自分でも感心する。私には生まれついての嘘つきの才能があったのだろうか?「嘘も百回言えば真実」。だから、そのうち皆の中で、私が書いた「1970年物語」がすべて真実になる日がくるだろう…。 音響の機材を福岡から運搬することになった。会場の規模はそれぞれ500〜800ほどのキャパである。どのくらいの機材が必要なのか私には判らない。判らないことは小宮に任せる。機材をヤマハから調達する。運搬用のトラックの手配も小宮任せ。さて、誰が運ぶ? そんな時「門田さん、俺運転出来るし、手伝えるよ。」と、ピエロを抜けた上野俊二が運転と機材運搬の裏方を申し出てくれた。そして、俊二の誘いでピエロのベースだった安部俊輔、ジェフの坪島淳も協力してくれることになった。 スケジュール、体力ともにハードな仕事である。高速道路がない時代である。福岡から鹿児島まで、休憩を入れても10時間前後はかかる。会場を探し出し、機材を搬入しセッティングする。それでやっと一息つける。コンサートが終わると搬出し、翌日の日南まで、再び夜通しトラックを走らせる。そしてまた次の日も…。福岡に戻って来るまでの4日間、仮眠する程度で不眠不休に近い仕事である。彼らもまた、ギャラなし…仲間のコンサートは出来る限り協力するというのが、この時代を共にすごした我々の不文律でもあった。それにしてもこの三人、良くやってくれました。 「それじゃ、先に行ってますから。」俊二、安部、淳の三人が機材を積んだトラックに乗り込み出発する。妙安寺ファミリーバンド5名、ピエロ4名、甲斐バンド4名、そして小宮を入れて総勢14名が万歳三唱しながら、それを見送った。我々バンド・メンバーのスケジュールもハードである。何たって金銭的な余裕がない。宿泊費を節約するために夜行列車の連続になる。 真夜中の博多駅に三々五々、メンバーが集まる…団体行動が苦手な人種である。手に手に夜食を持って汽車に乗り込む。 「あれーっ、門田さん。楽器は?」手ぶらでやって来た我々に小宮が驚いたように尋ねる。 「あぁ、楽器ね。俺達の楽器はトラックに積んで行ってもらった。持ち運びが大変やもん。」 機材の上に幌をかけたトラックである。盗まれるとか、破損するとか、何も考えていなかった。 まして、雨が降って濡れるなど…。鹿児島や宮崎は台風さえ来なければ、雨など降らない常夏南国の地なのだ。 翌朝、鹿児島着。午前中に会場に入り、俊二たちや地元のスタッフと一緒に機材のセッティングをする。セッティングが終わると俊二たち3人は楽屋で休憩、仮眠に入る。「ケチャップ」とのコンサートは夜。彼らの知名度でまぁまぁの客の入り。コンサート終了と同時に機材の搬出、俊二たち三人は日南に向けてあわただしく出発した。明日の日南は昼のコンサート。朝早くに会場に着かなければならない。バンドの方はケチャップのメンバーの家に招かれ…というより押しかけ、打ち上げを兼ねた食事をご馳走になったうえ、汽車の始発の時間まで仮眠させてもらった。 日南、宮崎は「ねむサークル」の協力で行われた。多大な迷惑をかけたようである。原因は日南の暑さの所為である。その暑さの所為で私の記憶も飛んでいる…。宮崎に行こう! 宮崎県美術館ホール、この日も昼間のコンサート。冷房が効いてるのが嬉しかった。「くれよん」の百合ちゃん、さっちゃんと再会。1970年物語「ピエロの解散」で私の記憶から消えていたピエロが落合氏からの音源を聞かせてもらって蘇った。浜地だ!浜地がリード・ギターで加入したんだった。ドラム(は誰だった?)も入り、ハードロック・バンドに変身したピエロがそこにいた。そしてプロとしてデビュー前の初ステージをこなした甲斐バンド。照和で甲斐と組んでから1年半、甲斐と一緒のステージはこれが最後になった。 「わいわい、がやがや」打ち上げは夜行列車の時間まで、後は博多に帰るだけ。時間に追われなることもないトラック部隊俊二、安部、淳も加わった。今思えば無謀なツアーだったのだ。「ねむサークル」のスタッフにお世話になりっぱなしで、彼らの協力がなくては実現しなかったコンサートである。しかも赤字を抱えたそうな…うわぁ、すんまっしぇん。 打ち上げを抜け出した淳と藤永が楽しそうに帰ってきた。この二人が行くところは大体想像が出来る。「お座敷ストリップに行って来たんですよ。そしたら人が少なくて…」「まさかステージに上がったんじゃなかろうね?」「いやいや、それはなかったんですけど、お姉ちゃんがカツを誘うんですよ。舞台が終わったら遊ぼうって。」…カツは誰にでもモテるのである。「淳、お前だったらその誘いに乗ったろう?」「当たり前じゃないですか。カツみたいに汽車の時間がどうのって断る理由がないですもん」…淳は誰でもいいのである。 帰りの列車には楽器を持って乗り込んだ。いつ戻ってくるか判らないトラックに乗せるわけにはいかない。帰りは俊二、安部、淳の三人が見送ってくれた。「急がんでいいから、気をつけて帰って来いよ。」宮崎から博多まで、およそ九州を半周することになる。動き出した汽車の窓からバンザイをしている三人に手を振った。鹿児島、日南、宮崎、真夏の三日連続のコンサート・ツアー、若さゆえクリアできた過酷なスケジュールだったと思う。夜の闇の中を明日に向かって走る夜行汽車…心地よい睡魔が襲ってくる。みんな、無事でよかった…。 |
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