ボクガクボ・ぼくのくぼ物語
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 ボクガクボ・ぼくのくぼ物語

 #1 ♪1〜♪6
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 #7 ♪36〜♪41



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♪7「2005年9月12日」
 田原典明の運転する車で久留米に向かった。福大病院から転院した久保の見舞いである。紀代さん、東京から駆けつけた藤永克彦と一緒である。カツと会ったのは何年ぶりだろうな?少なくとも20年は会っていなかったと思う。相変わらず「カツ」のままで嬉しかった。
「何か、お前たち。揃おて何しに来たんか?」病室に入るといつもの久保…言葉だけだが。「お前に会いに、わざわざメルボルンから帰って来たったい。」「そうよ、久保さん。僕もわざわざ東京から来たとよ。」とカツ。「そうたい、そうたい。ぼくもわざわざ博多から…来たちゃんね。」一挙に30年前にタイムスリップする会話が始まる。
そんな時、のそっと、ひょろ長い影が病室に入ってきた。木下聖雅である。久し振りに「妙安寺ファミリーバンド」のメンバー五人が揃った。

♪8「七隈四つ角」
 3年の終わり頃、久保はバンドを解散した。バンドが嫌になったわけではなく、3年生のこの時期に、バンドを卒業する傾向があった。久保が「ケンとガッキーズ」というバンドにいた時も上級生がこの時期に解散宣言をしたらしい。私と同じクラスの川合健一もこの時期に「三輪車」を解散した。
 この頃から私は久保の下宿に入り浸りであった。久保は金山団地の下宿屋から大学に近い七隈四つ角に引っ越していた。ここは場所的に大変都合が良い所だった。バスを乗りかえらずに来れたし、大学からは歩いて来れる。久保が居ない時は学食(学生食堂…通常文系が使う第一、第二食堂。これは同じ場所なのだが一階と、二階に別れているだけ、第三食堂は構内から道を隔てた場所にあり、工学部が主に使用。第四食堂は一番新しく出来た食堂で、薬学部や理学部などが使っていた。)か部室に行けば必ず会えた。久保のバンドメンバーである萩野和人、山中徳郎も同じ下宿屋にいた。

♪9「藤瀬」
 「藤瀬」と書いて「うるさい」と読む。一学年下で、久保の後を継いで副幹事になったのが藤瀬である…この時、幹事になったのが井手雅英。学籍番号70代も我々69代と同様メンバーが少ない。少ないメンバーから幹事を選ぶのだから…簡単である。
 久保の行くところ、必ず藤瀬が現れる。久保と同じ下宿屋に入りたがったらしいが、久保が断固、拒否した。そして藤瀬はその数軒先の下宿屋に入居した。
 朝、いきなり窓から「おはよう!」と元気に挨拶をする藤瀬。低血圧で朝に弱い久保が、これで朝から不機嫌になる。「入っていい?」「帰れ!」「入っていいやろう?」「帰れて言いよろうが!」「なんで僕だけいかんと?」「好かんけんたい!」「またまた、そんな冗談ばっかり。入るけんね。」そう言いながら藤瀬は玄関の方に周る。「久保さん、鍵かけとこうか?」冷静沈着な萩野。パジャマ姿でコーヒーを飲んでいる。「おう、掛けときやい。」ドアの外で声がする。藤瀬がやって来た。「久保さん、開かんよ。」部屋は沈黙を決め込む。「鍵、かけたろう?意地悪せんで開けてよ。」…沈黙。「久保さん、久保さん、久保さん…」。…「藤瀬」と書いて「うるさい」と読む。

♪10「パンとラーメン」
 久保の下宿に行く時、私はパンとチキンラーメン、卵、ソーセージを買って行く。お互いビンボウ学生である、遊びに行ってもご馳走してくれるわけもなく、されるわけにもいかない。この部屋には半畳のキッチンがあった。軽い煮炊きが出来る。久保が鍋にお湯を沸かし、コーヒーを入れる。その匂いに誘われて萩野や徳郎、その階の下宿人が久保の部屋に集まってくる。「何人おるんか?こりゃ足りんやないか。」口では文句を言いながら楽しそうにコーヒーを作る久保であった。
 4畳半の真ん中に炬燵がある。その上に車のホイル・キャップがどーんと置いてある。これを灰皿代わりに使っていた。酒は飲まなかったが煙草はよく吸った。夜更けまで話し込むと煙草が切れる。煙草が切れると、この灰皿から比較的長く吸い残した煙草を集め、それを吸っていた。夜食にラーメンを作り、残りのパンを食べていた。

♪11「七隈ブラザーズ」
 「もう、バンドはせんとね?」Gee Geeを辞めるといった久保に聞いてみた。「4年やし、バンド続けてもどっちみち辞めることになるけんねぇ。萩野や徳郎に悪かもん。あいつらは、あと一年あるけん、誰かとバンドを組んでやればいいと思う。」久保はソロ活動するタイプではないし、似合わない。「そしたらくさ、遊びでいいけん、俺とバンドせん?俺、一度でいいけんバンドば、組んでみたいったい。」愛好会に入って、この一年愛好会のバンドを見てきた私はバンドに憧れていた。「おっ、いいねぇ。お前とやったら楽しかろうや。」話はまとまった。大学四年の一年間、久保とバンドを組むことになった。「名前、何にするや?」「『久保とボク』にしたら、俺、ボクさんて呼ばれるしね。」…あーだこーだと馬鹿を言いながら名前を挙げていく。いい加減疲れて面倒臭くなった。「福大やし、七隈なんとかにしよう。」「なら、七隈ブラザーズにしよう。」決まった。






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