ボクガクボ・ぼくのくぼ物語
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 ボクガクボ・ぼくのくぼ物語

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♪18「2005年9月14日」
 この夜、谷村与志雄が声をかけて昔の仲間が集まってくれた。岸川さん、谷村、池浦均、中野茂樹、仲西永明、坂田君、加藤君、上野君、聖雅。そして電話でいろんな人と話が出来た。改原さん、有馬えり、秋吉恵介、上野俊二、浜地…もう後は誰と話したのやら。愛好会や照和で音楽を通して出来た仲間たちである。久保とバンドをしていたからこそ沢山の友人が出来た。プロにならなかったから(?)気さくに会える仲間である。二次会は「ブル・マン」へ、三次会は坂田君のオフィス(スタッフの三階)で…ここで、またまた嬉しい人が待っていてくれた。谷村家の嫁、よしみちゃんと愛娘のゆりちゃんである。そして谷村が最後に呼んだのはタクシー・ドライバーの霜田のけんちゃん。みんな久保のことを心配しながら、私のことも気遣ってくれていたのである。感謝!

♪19「宝くじ」
 ジャンボ宝くじが始めて発売された時の話である。この時、一等賞金は一千万円。それでも通常百万円の10倍である。現在のようにはがきでの予約制でなかった。先着順だから並ばなければいけない。混雑が予想されるから平和台球場で発売されることになった。徹夜で並ぶ覚悟が必要だった。「門田、宝くじば買いに行こうぜ。」一攫千金を夢見る久保。「俺はよかやね。」私はあっさりと断った。諦めきれない久保は田原を誘い、夜中に出かけていった…。帰ってきた久保の話では平和台球場の周りを二重三重四重と人が並んでいたらしい。
 結果発表。「三等に当たった!」久保は喜んだ。一等一千万円、二等百万円ときたら三等は十万円…と、誰でも思う。ところが「なして十万じゃないとや?」久保は怒った。三等は一桁ずれて一万円だったのだ。

♪20「ゆきどまり」
 私の実家である妙安寺は角を曲がると袋小路の突き当たりにある、ように見える。何とはなしにその風景を思い浮かべながら詞を書いた。それに曲をつけた久保は即座にボーカルにベースの萩野を指名した。久保の曲にしてはキーが低かった。私には合わないと判断したのだろう。そして、萩野独特の声と唱法がこの曲に見事にマッチした。ボーカルに回った萩野の代わりに、ベースはもう一人のベーシスト田原が受け持った。ベースで参加しながら常に萩野にベースを譲ってきた田原が本業のベースを弾いた貴重な曲でもある。この曲、どこが気に入ったのか「くれよん」や有馬えり、椿ゆう子がステージなどで歌ってくれた。

♪21「バスケットボール」
 大学の主催で愛好会、同好会などの準クラブのスポーツ大会が開かれたことがあった。何にでも出たがりの久保が参加しようと言い出した。久保は高校時代、バスケットをやっていた。「門田、お前もバスケットしよったちゃろ?出ろうぜ。」言い出しっぺの久保は一人では何もやらない。そんじゃぁ、みんなに声を掛けようと、部室で残りのメンバーを探した。即、乗ってくれたのがピエロの井手雅英。「俊二もそうじゃなかったかなぁ?」井手がポツリ。部室に顔を出した上野俊二を捕まえて無理やり参加させた。そして後、一人。最低5人のメンバーが必要である。「かーさん、かーさん。僕もやりよったっち。バスケットやろ?」ジェフの山田耕二。経験者が5名も揃えば優勝も狙えるぞ!第一回戦、相手はサッカー同好会。「それって、あり?スポーツクラブじゃないか。」ギターを弾いているワシらと身体を動かしている彼ら。体力負けは目に見えている。「ワシらにはバスケットのノウハウがある。行くぜ!」練習なしのぶっつけ本番…頭で判っていることに身体がついてこなかった。唯一人、バスケットをしていたのは、丸っこいからだの井手雅英だけ。結果は見事、惨敗に終わった。

♪122「ジャンバラヤ」
 オリジナルが少ないためステージ用に曲を増やさなければいけない。ニッティー・グリッティー・ダート・バンドの曲から久保がこの曲を選んだ。「門田、ワシ等はまともにコピーが出来んから、お前、日本語の歌詞をつけろ。」「それって、訳詞しろってこと?」「何でもいいけん、日本語で歌おう。」「日本語の歌詞をつければ良いちゃろ?」ということで原曲の歌詞を全く無視して、語呂合わせの歌詞作った。語呂合わせの意味ない歌詞なら久保の方が得意。ミイオー、マイオーなど独特の語韻がある英語の歌詞である。そこで二人で考えた。
 当時、バイクに乗っていた田原をモデルにした。オートバイで旅をするという設定である。♪さよなら太郎、丸い体乗せたオートバイオー、走る姿はもう見るまいオー…(略)…別れの言葉はただバイヨー…♪

♪23「赤色エレジー」
 この曲を誰がやろうと、言い出したのだろう?あがた森魚の名曲「赤色エレジー」。本人が聞いたら怒るだろうな。イントロに語りを入れようと言い出したのは、多分私である。岡林信康の「ガイコツの唄」から拝借した。萩野の切々とした歌と私の語りが交互に入る。聖雅の微妙にずれたバイオリンの音色。田原の爪弾く大正琴。トライアングルとカスタネットがワルツを刻む。これがステージで大受けした。「歌え若者」で披露した時、司会の渡久山さんが言葉に詰まった。岸川さんはガラスの向こうで笑い転げていた。妙安寺ファミリーバンドはコミックバンドだったのだ。






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