ボクガクボ・ぼくのくぼ物語
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 ボクガクボ・ぼくのくぼ物語

 #1 ♪1〜♪6
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 #7 ♪36〜♪41



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♪1「2005年9月11日」
 この日の朝、メルボルンを発った私は成田経由で福岡空港に着いた。その足で愛好会の後輩である井上正幸の経営する「オアシス」に直行した。帰国した理由は久保の見舞いだが、たまたまこの日に「福大フォークソング愛好会」のOB会が開かれていた。私の帰国を知った井手雅英が声をかけ、OB会終了後、場所をここに変え、昔の仲間たち10数人が私を待っていてくれた。午後4時に始まったOB会から私が到着した11時まで、7時間以上も待っていてくれたのだ。しかも、それから2時間ほど、私に付き合ってくれたみんなに、懐かしさと嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいである。途中、酔った勢いで歌を唄った。ギターを弾きながら、つい左横を見る。いつもステージで横にいた久保の姿を探していた…。

♪2「癌」
 「一郎さん、久保君の癌が再発した。治療法が見つからないらしい。ほっとくと一ヶ月くらいで意識が無くなるかも知れないらしい。それに、それに…あと、三ヶ月だって…」涙を堪えたように話す榎本紀代からの電話。
「あと、三ヶ月。…あと、三ヶ月。」その言葉だけが私の頭の中を駆け回る。
 5年前「門田、久保が癌になった。今、入院しとる。帰って来れんか?」久保の癌の発病の連絡を谷村与志雄から受けた。この時は何の不安も感じなかったのに、今回は何なんだろう?この落ち着かない胸騒ぎ、息苦しさは…
「一郎さんが来てくれたら、きっと久保君も喜ぶと思うよ。」紀代さんの言葉で、私は帰国の準備に入った。

♪3「出会い1969年」
 私が大学に入って、初めて出来た友人が大庭義朗だった。彼は金山団地のそばの下宿屋に住んでいた。度々、彼の下宿に遊びに行っていた私は、彼の隣人と知り合うことになる。 大庭の部屋でギターを弾いて唄っていた私に、大庭が「隣にいる久保ってのがギターが上手いんよ。」と隣人を紹介してくれた。その男は184cmの長身で痩せていた。
「うわぁ、でかい。」私と10cmの差だが大人と子供の違いがあるような気がした。…思い起こせば、この時私は座っていて久保は立っていた。首が曲がるほど見上げた、ような気がする。
「門田、隣の部屋の久保。経済の一年。」大庭に紹介された「久保孝司」は無愛想に「どうも」と言っただけで隣の部屋に消えた。「あぁ、どうも」とこちらも返事を返し、出てゆく猫背の背中を見送った。

♪4「再会1971年」
大学3年の春、構内は新入生を勧誘するサークルで賑わっていた。ガクラン姿の応援団の前を誰も通ろうとはしない。新入生を捕まえては脅し半分、勧誘している。
1年の時、私は音楽がやりたくて器楽部に入った。デキシーランド・ジャズ、カントリー・ロック、ハワイアンの3つのバンドで構成された器楽部。新入生は自由意志でそれぞれのバンドに所属する。私はハワイアンを選んだ。人が少なかったからである。しかし、私にとって器楽部は音楽を楽しむクラブではなかった。
構内をひやかし半分、歩いていると歌が聞こえた。近づいて行くと「フォークソング愛好会」という看板が見えた。数人の男たちがギターをかき鳴らし、歌を唄っていた。その中で一際背の高い、見覚えのある男を見つけた。

♪5「フォークソング愛好会」
 器楽部を辞めてから、私は一人で弾き語りをしていた。音楽雑誌(この頃「新譜ジャーナル」や「ガッツ」という雑誌が売れていた)に曲を投稿したり、ラジオやテレビに応募し、出演したりした。しかし、いつも何か物足りなさを感じていたのである。
 「いつから、このクラブはあった?」顔見知りの久保に尋ねた。「1年の時に、出来たんやったかいなぁ。」…何とも、はっきりしない答えである。「俺、3年やけどは入れるかいな?」「おう、入れるくさ。入りやい。入りやい。」…ちなみに久保はこの時、愛好会の副幹事だった。幹事は同じ3年の稲富。私が知る、初代の幹事、副幹事…のはずである。稲富は総会などで司会進行をしたり幹事らしかったが、副幹事の久保は…何をしてたっけなぁ?

♪6「部室」
 この頃、学校からの部費などが支給されない、同好会、愛好会などのクラブにも部室が与えられた。…が、プレハブ建ての簡易建物である。しかも、ほかのクラブと相部屋。しかし同居人が女子学生が多い「アナウンスメント研究会」略して「アナ研」だったので、向こうの気持ちは知らないが我々は狭くても満足していたのである。
狭いながらも楽しい我が家。授業の合間や授業を抜け出して、みんなが部室に集まる。10人も入れば満員状態であるが、音楽に上下関係なし。これが愛好会の趣旨。そして、その中心にいてギターを弾いているのが久保である。部室に集まるのは3年で副幹事の久保と三輪車の川合健一くらいで、新入部員だった私はいつのまにか古株のような顔をして久保の隣にいたのである。






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